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全修寺の華麗な『安珍清姫屏風』

全修寺にお宝があるという噂を聞いて、足を運んだ。

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函館の高龍寺から1857年に分寺し、1859年に建てられた。
現在の建物で最も古い物は、本堂で1895年(明治28年)美唄の宮大工斉藤氏が建てたということだった。本堂の玄関の彫刻がシンプルでいて力強い。

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今回は7代目住職の泉宏勝氏に案内して頂いた。
部屋に通されてご対面した屏風は、高さ1間幅2間の6連続き(6曲1隻)の物だった。
一度表装を手直ししているので、裏に直しの跡があった。けれども絵はすっごく美しい。
清姫の出自から、僧との出会い、僧に拒否され龍へと徐々に変化(へんげ)してゆく清姫の姿、寺に逃げ込んで鐘の中に隠れるも鐘もろとも龍に焼かれて、極楽に行った僧の話を実に巧みに描いている。
人物には極彩色を使い、スピード感のある場面転換。
背景は抑えた色合いで、浮世絵の下絵を彷彿とさせる。そして、見る者を驚かせるほどの眼光鋭い龍が、とてつもなく素晴らしい!!

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現代作家の描く龍は弱々しいが、この龍は本物だ。
泉宏勝氏が子どもの頃、この屏風絵を見て怖くてたまらなかったという話もうなずける。

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この屏風は、佐渡生まれで岩内で鰊場親方をしていた本間玄契(1848~1924年)が 、若い頃全修寺で修行をしていて、その縁で寄贈した物だ。本間家財産目録に載っていて、全修寺に寄贈の添え書きも残っている。作者や制作年は全く不明。
江戸時代から明治時代前期にかけて北前船の航路の各地の豪商や網元に、流浪の絵師や彫り師、宮大工らが逗留して芸術作品を制作していたという。
彼らが残していった物が、鰊場でうなるほどお金が集まっていた岩内に持ち込まれたのだろうか。

全体から細部まで、集中力が途切れることなく描かれた絵に、芸一筋で生きることの気迫を感じさせられた。(S・S)
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