にしん場の栄華を伝える―光照寺の松の襖絵

光照寺4

旧中央小学校から、道路を挟んで海側にある巨大な瓦屋根が
目に飛び込んでくる。
1858年(安政5年)開基の光照寺だ。
23年前に本堂を大修復したときに使われた石州瓦はなんと
2万3千枚と言われている。
今回は、第6代松本道也師の奥様に解説していただいた。

本堂は天井が恐ろしく高い。
そこに桂の棒天井と太いタモの柱が何本もある。

光照寺2

小樽の西別院を手がけた松井角兵恒信棟梁が、明治39年に
間口13間奥行き14間の堂々たる本堂を建てた。
にしん場で賑わっていた岩内の檀家が、漁の安全と豊漁を祈願して蓄財を惜しげもなく寄進してくれたという。海で生きる人達の切ないまでの思いが、柱や建具に、ぶ厚い一刀彫りのボタンの欄間に、そして講壇の左右にある襖絵にも宿っているようだ。

光照寺1

この襖絵が高さと幅1間半で4枚が1対になっていている。
時を経てすすけ、破れや繕いの跡が見られ「お宝がもったいない」状態だが、堂々たる老木の松はすごい迫力なのだ。水墨画で明治時代の画家の気概が伝わってくる。
安土桃山時代の長谷川等伯の楓図の襖絵を思わせる、太い幹を大きく扱った構図には隙がない。遠くと近くの枝を墨の濃淡で巧みに描き分け、自然の厳しさを老木の荒れた肌に表現している。幹の芯を貫くダイナミズムは、枝から梢まで途切れることなく続いている。浜で体を張って生きる人達の心を「えい!」とわしづかみにしてしまう底知れない力強さを持っている。

その他に、鶴の屏風絵も見せて頂いた。
こちらには名が記されているが、書に疎い私には解読不可能だった。「スミマセン」
縦1間横半間あまりの大きさの画面が6連あり、10数羽の鶴が墨と顔料で描かれていた。様々な姿態が巧みに組み合わされている。丹頂鶴の声が聞こえてきそうなリアルさがあった。

光照寺3

およそ110年前に建てられた光照寺には、お金には換えられない岩内の文化の懐の深さを感じることができた。(S・S)
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