木田金次郎のアトリエ

今年の「どんざ忌」では、開かずの間であった
「木田金次郎宅のアトリエ」
開けられ映像記録が公開された。
歴史的な瞬間に立ち会う幸運を得たものの一人として、映像により思い起こされたことを記してみる。

どんざ2

映像記録は8ミリ映画で岩内の歴史を記録し続けた、たら丸の生みの親今井郁夫さんに拠る。
今井郁夫さんも今は亡く、実に貴重な方を失ったものである。

さて、アトリエ開室に至った経緯であるが、私の記憶では、美術館建設が決定し、その準備に取り掛かったところ、木田作品が少なく、購入もままならぬ所から、地元の旦那衆に購入と寄託を呼び掛けたが、なお点数が十分ではなく、何とか展示作品数を確保することが喫緊の課題であった。

そこで、青塚先生、木田夫人が信頼し美術館建設への相談役であった吉田吉就さんらが、アトリエに木田作品が残っているはずだから、木田家の了解を得て、一度是非アトリエを見てみようと言うことになった。
吉田さんが中心になって、声かけをし、集まったメンバーが、梅庭昭寛さん、今井郁夫さん、道新岩内支局長伊藤直紀氏、役場企画課(美術館事務取扱部署となっていた。)職員若干名であった。

アトリエの映像記録に、私の記憶にない映像がかなり多く、アトリエ調査は2日にわたって行われたようです。
翻って今考えるに、企画課の職員の任務は、錠前を壊すことにあったのではと思っているところです。
というのは、数字合わせの鍵の番号が木田の娘さんも分からないために錠の木ネジを外さなければならず、(開錠は出来るものと思っていたので、何の用意もせずに同行したものですから)木ネジに合うドライバーも用意せずに出かけ、ついには役場公用車に常備してあったドライバーで木ネジをこじ開けたものです。
こじ開けるにあたっては、さすがに乱暴すぎると係長の清本明君がしり込みをしたので、私がドライバーを奪い取りこじ開けるなことになりました。木田家で住宅を引き続き使用するのであれば、あんな乱暴なことはできなかったでしょう。(M・N)

新聞切抜
≪12月13日北海道新聞の記事≫
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