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対比から画家・木田の特質を解き明かす  生誕祭記念講演で

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 7月19日、美術館で木田の生誕祭記念講演があった。
講師は目黒区美術館学芸員の正木基氏で演題は「木田金次郎と難波田龍起」。
スライドを使い豊富なディテールをもとに、新しい芸術思潮が次々と入った当時の時代背景を踏まえつつ二人を対比、高村光太郎の存在という独自の観点からの内容は興味深いものだった。
以下、木田に関する部分を主に取り上げ要約した。

 共にほぼ同時代に生きた二人の画家、木田金次郎と難波田龍起。
木田は暖色系の具象画、難波田は寒色系の抽象画と全く対照的だ。
 二人の初接点は昭和28年の札幌・木田個展だが、それ以前に東京で高村光太郎との関わりという共通項がある。
 高村はフランスから帰国後、国内初の画廊、琅玕洞を開設したり論文の発表等華々しく活動していた。
 それは美術に関心を持つ若者にとって極めて刺激的だった。
 開成中に入学のため上京した木田も高村や有島生馬、南薫造たちの新知識に傾倒した。
 親元の家業不振で帰郷途中に札幌へ寄り北大黒百合会展覧会で有島武郎の「有珠の煙」を見て感動し有島と運命的な出会いをする。
 高村が木田に美術に進むきっかけを作り有島が決定づけたと言える。
 一方、難波田は高村家に最初は詩作を学ぶため出入りしていたが、次第に高村が描いた「穂高」「上高地」に惹かれる。
 二人でブリヂストン美術館に行きゴッホ(?)作「にしん」の抑制が効いてしかも強いタッチに感動する。
 このような体験が絵の道を志す契機になったようだ。
 更に高村の紹介で川島理一郎を知りギリシア美術に心酔、「アクロポリスの風景」を下絵を繰り返し塗るグレーズ画で描き、次第に抽象画へと進む。
 木田は一度塗りで色を決定するプリマ画、この点も二人は著しく異なる。
 また木田は高村が紹介した「ロダンの言葉」の「人体の各部を表面的でなく外部に突出して・・・」の部分を有島への手紙で「山ハモレアガッテ・・」と自分の描画に生かしているし、「実際に見たものをその人の主観によって使いたい色で表現する」という高村の理念は岩内大火後の「緑の太陽」となって結実する。 (以下略)
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 冒頭に講師は「木田美術館では開館以来、生誕祭等の記念講演はすべてテープ起し、文章化し記録として保存、活用しているが全国的に見てここだけでないだろうか。すばらしい。」と言われ、私もメモ取りながらとてもうれしかった。
          O.Y
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