どんざ忌朗読余話

第18回「どんざ忌」は、道新、町広報で取り上げられ話題となりました。
いままで継続してきた当館の諸活動が町民に知れ渡り、多くの人が行事に参加されることを望みます。

どんざ忌3

さて、今回は「生れ出づる悩み」の第二章後半の朗読でした。
作者の青年に対する思いと、青年の手紙文です。

書状は木田金次郎が実際に、大正6年(1917)に有島武郎に送ったもので、デッサンにとりかかるまでの経緯がつづられています。その中にひきつけられる一節がありました。
「私ノ町ノ知的素養ノ幾分ナリトモアル青年デモ、自分トイフモノニツイテ思ヒヲメグラス人ハ少ナイヤウデス。青年ノ多クハ小サクサカシクヲサマッテヰルモノカ。ツマラナク時ヲ無為ニ送ッテヰマス。デスガ私ハ私ノ故郷ダカラ好キデス」
この個々が閉じこもり遊離していることに木田のいらだちが伝わってきます。
この年、木田は有島に狩太(現ニセコ)で会い、自分の心情を吐露したのでしょう。翌年、小説「生れ出づる悩み」が生まれたのでした。

生れ出づる悩み
表紙は今をトキメク岡田将生さんです。

やがて大正11(1922)年7月に有島は来岩し、講演会を行いました。
町役場議事堂に200余人の聴衆が詰めかけたといいます。
同年の10月に有島は個人雑誌「泉」を創刊しました。この雑誌は岩内で60余名もの購読者がありました。
雑誌「泉」の書名に因み、岩内の有島愛好者は「白水会」という組織をつくりました。
木田(29才)の求心力、そして当時大学出の組織と行動力のある佐藤弥十郎氏(32才)を中心に40数名が団体を結成したのです。文化・芸術の普及、科学の啓蒙、小樽商大、北大の弁論発表、政治運動と大正デモクラシーの潮流のなか岩内の熱血漢が集い時代を切り開いていったのです。
(M・R)
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