坂のまち長崎に―野口彌太郎記念美術館を訪ねて― 【後編】

その日、私が尋ねた野口彌太郎記念美術館では
「描く喜び モチーフ1934~1971」展が開催されていた。
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描く対象(モチーフ)にこだわりと愛着をもって野口が描いた裸婦、静物、肖像、街の作品がテーマ別に並んでいた。
4グループの中で裸婦の作品が興味深かった。「頭をかかえる裸婦」1965年水彩、「夢」1949年墨、「裸婦2人」1961年油彩、「裸婦B」1951年木炭、4点の作品はいずれも画材を変え、描写方法を変え、ひとつのモチーフからそれぞれが趣の異なった作品に仕上がっていた。「対象に対する形や色、それらを統合する表現のテクニックにより、自分の絵を生み出すことになる」と言った野口の言葉がうなずける作品の数々であった。

美術館受付カウンターの右手の展示室には「オランダ坂」1954年、「国際通り」1954年、「街」1959年、「東山手風景」不明、「長崎」1975年、「長崎の情緒」1965年など、長崎の風景を描いた大作が並んでいた。野口が画面に描き写した長崎の街は、画家の愛情が伝わる異国情緒に満ちた坂の街の風景であった。
野口彌太郎は国内外を多く旅し、その先々の地特有のモチーフに関心を持ち、多くの作品を残している。
野口が欧州より帰国後、特に好感を持った地は、父親の故郷で異国文化が色濃く残る長崎と、本州とは異なる空気を持つ北海道だったと言われている。
美術館の次の室には「北国の屋根」1950年、「北海道」1968年、「川村カネト・アイヌ一家」1967年、「アイヌの集会」1968年、「アイヌの老夫婦」1969年など北海道をモチーフとした一連の作品が並んでいた。
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やがて閉館時間も迫り、私は色彩を重視し、単純化された形を伸びやかな筆の運びで描いた野口彌太郎の作品に別れを告げ、セントポール通りの石畳の坂道を下った。
(M・T)
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