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坂のまち長崎に―野口彌太郎記念美術館を訪ねて― 【前編】

2012年木田美術館の特別展示は、生没年が同じで没後50年を迎えた二人の画家
「児島善三郎と木田金次郎1893-1962」展であった。九州生まれの児島と北海道生まれの木田、二人の目指した道と接点をさぐる企画で、好評のうちに11月4日に終了した。

在野にあって独自の画業を進める木田に、中央画壇の動向や児島善三郎等、独立美術系画家との交流の橋渡しをしたのが、独立美術協会の中心人物として活躍した野口彌太郎である。
野口は1939年に木田と共に利尻、礼文島に写生旅行をし、1948年には岩内町に木田を尋ね、岩内市街や近郊を画題にして、二人で制作を共にしている。この時、野口は「北国の街」「岩内風景」「海辺の眺め」「坂のある風景」等の作品を残している。
木田美術館では互いに影響しあった二人の交流をテーマに2003年夏に
『「木田金次郎と野口彌太郎」展 天成の画家ふたり―北での出会い』の特別展を開催している。

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この秋、私は野口彌太郎記念美術館(http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/noguchi/)のある長崎市を訪れた。
長崎空港からの連絡バスが着いたターミナルからホテルに向かうタクシーの運転手が、「長崎は平地が少なく、その多くは埋め立て地」と話をしていた。長崎は坂の街であった。
ホテルの六階の室からは、東山手へ続くオランダ坂が目の前に見えた。
この坂道周辺はかつて英国やポルトガル、ロシア、その他の領事館なども多く、洋館が建ち並ぶ東山手は『領事館の丘』とも呼ばれていたそうだ。ホテルの近くには朱色に塗られた孔子廟や中国歴代博物館もあり、10分程歩くと南山手の大浦天主堂やマダムバタフライのオペラで有名なグラバー邸に着く。いずれも異国情緒あふれる石畳の坂道である。

その日の午後、ホテルのある大浦地区から野口彌太郎記念美術館のある浦上地区に向かった。
大浦海岸通りから市内路面電車に乗り、浜口町停留場で下りた。
CIMG4233-1.jpg

セントポール通りの坂道を5分程登ると、丘の上の平和会館一階に“長崎市野口彌太郎記念美術館”があった。原爆落下中心地に近く、原爆資料館の隣である。
CIMG4236-1.jpg

長崎市はアメリカミネソタ州セントポール市と日米初の姉妹都市提携を結んでいる。坂道にセントポールの名を付け、長崎市の花“あじさい”とセントポール市の花“クローカス”をデザインしたアイアンアートが街路樹の根元を飾っていた。

後編へつづく…   (M・T)
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