若洲一滴文庫を訪ねて その2

我々一行の車は佐分利川沿いに若狭湾に出て国道27号線へと進んだ。福井県小浜市から「鯖街道」の重要な宿場町、上中町熊川の宿で車を止めた。

福井県南西部に位置し、小浜藩の関所が置かれていた若狭熊川宿は天正17年国主浅野長政が街道の宿場町として整備し、近江国境に接する物資の中継地として繁栄した。
その後江戸時代には戸数200戸を超え、年間20万駄の荷が京都や近江に運ばれた。現在は1400mの旧街道沿に町家造りの民家が軒を並べ、家や土蔵の前を用水路が流れ、旧街道の風情が残り、熊川宿は国の重要伝統的建物群保存地区となっている。
その昔若狭の海で獲れた鯖をはじめ甘鯛、鰈など新鮮な魚は人の背に負われ峠を越え夜通し歩いて京へ運ばれた。「京は遠うても18里」と言われ、古くから一塩物の魚の輸送路として知られた若狭街道は「鯖街道」と呼ばれた。

この道は小浜から熊川宿までは現在の国道27号線、303号線を進み、滋賀県今津町保坂で国道367号へと入り、朽木村を通り花折峠から大原、八瀬に向かい出町柳から京の町なかに入る道である。
早朝若狭の港町小浜を発った一塩物の鯖は鯖街道を京に運ばれ、三枚におろされて酢でしめ酢飯に乗せ昆布で巻き、竹皮に包んで棒寿司となり、鯖寿司と呼ばれ都人に大いにもてはやされた。
この鯖寿司は鯖街道の宿場町、熊川宿や朽木宿でも名物としてその味を競っていました。

一滴文庫から京に向かう我々の車が熊川宿に立ち寄ったのは、休憩と共にこの名物の鯖寿司にひかれたためでもありました。熊川宿のせまい旧街道をゆっくり進む車窓から風にはためく名物鯖寿司ののぼりと看板を目にして車は止まった。店先にみやげ物などを並べ、ガラス戸に鯖寿司と張り紙のあるお店に入り、奥に向かって声をかけた。出て来た店主は「今日の鯖寿司は総て売り切れた」との返事だった。一同がっかり。
すると博学の瀧澤館長が此処は大変良質の葛粉がとれるところ、葛切りを味わって行こうと、早速注文した。言われて店内を見廻すと袋詰めの葛粉や葛餅などがおみやげ用に並んでいた。古くから都で珍重されていた熊川葛は、近くの山に自生するマメ科つる性多年草の葛の根からデンプン質を精製して作られる。
雪がちらつく初冬に北川の水で繰り返し晒し、寒風で自然乾燥させ、昔ながらの手作りで純白の晒し葛粉が出来上がる。熊川宿の特産品だ。店の人の自慢話と共に出来上がった葛切りの一皿はさすがの品で濃厚な黒蜜に白い餅肌、適度な弾力と粘りが黒蜜の甘さとあいまってなかなかの味であった。
葛屋

熊川宿の名物をいただき、ひと休みした一行は国道303号線を琵琶湖西帯の今津に向けて出発した。やがて湖が遠望され車は右折し次の信号を左折して高島バイパスに入った。国道161号を進んだ車は安曇川を渡り、白砂青松の景勝地近江舞子を過ぎ、びわ湖バレー近くの志賀より自動車専用道路を琵琶湖に沿って大津に向かい京都をめざした。
(M・T)
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