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木田金次郎の画室(開かずの間):前編

もう20年近くの時が経ち、加えて記憶力の低下が甚だしい私のことですので、どこまで正確に書けるか、ほとんど自信がありませんが、私なりに当時のことを思い出し、当時の関係者から記憶の訂正をしていただくことも、今後の美術館活動の一助になるのではと、恥を忍んで記してみることとします。

木田金次郎美術館の建設が町の事業として着手することとなり当初は教育委員会がその事務にあたっておったのですが、岩城町長から企画課でやるようにとの指示があり、企画課長であった私が、直接の事務の担当者となったのです。私の高校時代の恩師の一人に「有島武郎」研究者で、当時は「星座の会」を主宰していた高山亮二先生がおり、会うたびに「前田君、岩内町で木田金次郎美術館を木田の生誕100年を記念し建てるべきだ」と言われていたので、岩城町長から木田美術館の担当を命ぜられた時は、大変うれしく光栄に思ったものです。
ただ残念ながら、絵画、そして木田金次郎について全く知識のなかった私にできるだろうかという一抹の不安はありましたが、岩内の“誇りである木田金次郎美術館”建設を周囲の皆さんの期待にこたえて何とか成し遂げようと張り切っておりました。

木田金次郎美術館の建設を心待ちにしていた木田文子夫人が10月末に亡くなり、11月9日に「木田文子さんを偲ぶ会があり、尚珷さん、瑠璃子さんが来岩されておりました。「偲ぶ会の翌日」郷土館長の吉田吉就さんから「木田さんの長女の瑠璃子さんがもう少し岩内におられるので、ちょうどよい機会だから、地元の人間も見たことがない木田さんの画室(開かずの間)を見させてもらおう。」という電話があり、翌日係長の清本明君と清住の木田金次郎邸に向かいました。

(M・N)
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