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冬の京で禅刹建仁寺を訪ねて

京都円山公園石段下から西にのびる四条通りに、歌舞伎の忠臣蔵に登場する料亭「一力茶屋」がある。その角を曲がり祇園花見小路を南に下ると、栄西禅師により開山された京都最古の禅刹、臨済宗建仁寺派大本山の建仁寺北門に行き当たる。
ここは、室町幕府三代将軍・足利義満により、京都五山のひとつに定められた由緒ある禅寺である。(建仁寺へリンク

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特別拝観が出来る厳寒のこの時期に、本坊の玄関をくぐると、僧侶が履く下駄に押してある焼印の「最初禅窟」の四文字が目に止まりました。この寺が京都で一番古い禅寺であることを誇りにしている心情が伝わってきました。
拝観受付を済まし、最初に日本画家・小泉淳作画伯の筆になる「双龍図」の天井画を目ざし、法堂に向かいました。禅寺の法堂は説法を行う伽藍ですが、建仁寺では太い柱が歴史を示し、五間に四間の建物内部に本尊の釈迦如来座像を祀り、仏殿も兼ねておりました。
法堂の天井は高さが22メートルもあり、天井一面に畳108枚分の巨大な「双龍図」が描かれておりました。
縦11.4メートル・横15.7メートルのこの大作は小泉画伯が北海道十勝で廃校となった小学校の屋体を制作場所に選び、平成14年の建仁寺創建八百年を記念して描いた作品と以前に聞いておりました。北海道民の私は大変興味深く思い、ぜひ一度拝見したいと考えておりました。龍は仏法の守り神と云われ、禅宗寺院の法堂天井画に多く見られますが、一般的には大きな円の中に龍を描く構図が多いようです。ここ建仁寺では珍しく、四角い天井一面に二匹の龍が描かれ、勢いよく天井を駆けめぐり、雲を呼び大きな目でギョロリと睨む迫力には相当な凄さが感じられました。

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京都東山に建仁寺が創建されて八百年を経た今。小泉画伯により制作された天井画が、今後何十年いや何百年の時間の流れの中で、その時代の人々からどう受け止められ、何を伝えて行くことが出来るだろうか。そんな思いをめぐらせながら、「双龍図」を見上げました。
その後私は、多くの襖絵と幾つかの庭園がある方丈と書院に向かいました。
建仁寺は古くから京都五山の中でも漢詩文の素養が高い禅僧が多く、その気風や雰囲気からやがて画人達も集まるようになりました。その結果、この寺には著名な画人達の傑作が数多く今に伝えられております。私たちが教科書などで目にした国宝「風神雷神図屏風」は俵屋宗達の筆により、二曲一双屏風全面に金箔を押し、右双に風神、左双に雷神が描かれました。建仁寺に伝わるこの宗達晩年の傑作は現在、実物画は京都国立博物館に寄託保存され、寺には複製画が飾られておりました。また、桃山文化時代を代表する画人・海北友松が描き、方丈を飾っていた「竹林七賢図」の襖絵は、昭和9年の室戸台風で被害にあい、軸装に改められ、前者と同様に国立京都博物館に寄託されました。同じく海北友松の襖絵の傑作で四面一連の襖に今にも飛び出して来そうな大迫力の龍が墨一色で描かれた重文の「雲龍図」は、京都文化協会とキャノン㈱の協力で、高精細デジタル方式で複製され、書院を飾っておりました。
この外、長谷川等伯の「松に童子図」、室町時代の画人・秋月の「龍虎図」、大正から昭和にかけ活躍した橋本関雪の「伯楽」「生々流転」「深秋」「松韻」等の作品が、方丈、書院、塔頭に伝わっておりました。
真冬の京は日暮れも早く、寒くて底冷えし、庭園に向け戸障子があけはなされた寺院の方丈や書院では、陽もかたむくとしんしんと冷気が足下から脚腰背中に忍び込んでくるような感じがしました。間もなく陽が落ちると、高瀬川沿いの木屋町や河原町通りに抜ける露路や小路のお店に、のれんが掛かり、軒先に灯りがともる時間となりました。
 今日は禅刹東山建仁寺を尋ね、多くの名画を拝観しました。そろそろ湯豆腐を肴に熱燗で伏見の銘酒を楽しむ頃と、お寺を後にして鴨川にかかる四条大橋を西に渡りました。
(M・T)
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