どんざ丸
北海道岩内町・木田金次郎美術館のスタッフブログです。
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2年前の鳥取への旅―田上義也あれこれ(2)
今から2年前の2008年7月下旬、
私は鳥取に行ってきたのでした。

鳥取といえば「鳥取砂丘」。午後7時でも暑かった…。
神戸空港からレンタカーで中国山地を約3時間。
初めて訪れた鳥取は気温35℃!
ところで、なぜ鳥取を訪れたかというと、

「橋浦泰雄の遺したもの―鳥取の文学・民俗学の黎明―」
鳥取県立図書館の方から、この展覧会のお知らせをいただいたからです。
2007年に当館で開催した「橋浦泰雄―旅への導き」展。
実は、木田金次郎が橋浦泰雄に宛てた書簡類が、
橋浦家から寄贈され保管されているのが、
橋浦の故郷・鳥取の県立図書館。
お知らせいただいたのもご縁と思い、思い切って(自費で)鳥取へ行ってみたのでした。
この旅には、2005年に当館で講演いただいた、
斎藤弘美さん(フリーアナウンサー・民俗学地域史研究者)も東京からご一緒に。
斉藤さんの計らいで、鳥取の博物館・図書館の学芸員の皆さんとお話しすることができました。
橋浦泰雄が生まれた場所、鳥取市の隣町・岩美町岩本へも行ってきました。

鳥取県岩美町岩本。車も通れない路地の街でした。
前置きが長くなりましたが、
この旅でコピーさせていただいた橋浦泰雄宛て木田金次郎書簡の一部を、
「田上義也―北方建築の種」展にて紹介しています。

資料ケース下段の資料がそれ。
1925年1月と2月に、木田が橋浦泰雄に宛てているのは、
岩内の「白水会」が開催する「田上義也ヴァイオリン独奏会」の打ち合わせ。
演奏会の会場や、橋浦と田上が作った曲について、
当時札幌に滞在していた橋浦とやりとりしています。
書簡の詳細については、展覧会場でじっくりと。
旅での収穫が、2年越しに皆さんにお伝えできる、
とても嬉しい機会となりました。
資料調査、展示協力をいただいた鳥取県立図書館に、
心より感謝申し上げます。
(学芸員 岡部 卓)
***************************
2010特別展示
木田金次郎の交流圏
「田上義也―北方建築の種」展
11月7日(日)まで開催中
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私は鳥取に行ってきたのでした。

鳥取といえば「鳥取砂丘」。午後7時でも暑かった…。
神戸空港からレンタカーで中国山地を約3時間。
初めて訪れた鳥取は気温35℃!
ところで、なぜ鳥取を訪れたかというと、

「橋浦泰雄の遺したもの―鳥取の文学・民俗学の黎明―」
鳥取県立図書館の方から、この展覧会のお知らせをいただいたからです。
2007年に当館で開催した「橋浦泰雄―旅への導き」展。
実は、木田金次郎が橋浦泰雄に宛てた書簡類が、
橋浦家から寄贈され保管されているのが、
橋浦の故郷・鳥取の県立図書館。
お知らせいただいたのもご縁と思い、思い切って(自費で)鳥取へ行ってみたのでした。
この旅には、2005年に当館で講演いただいた、
斎藤弘美さん(フリーアナウンサー・民俗学地域史研究者)も東京からご一緒に。
斉藤さんの計らいで、鳥取の博物館・図書館の学芸員の皆さんとお話しすることができました。
橋浦泰雄が生まれた場所、鳥取市の隣町・岩美町岩本へも行ってきました。

鳥取県岩美町岩本。車も通れない路地の街でした。
前置きが長くなりましたが、
この旅でコピーさせていただいた橋浦泰雄宛て木田金次郎書簡の一部を、
「田上義也―北方建築の種」展にて紹介しています。

資料ケース下段の資料がそれ。
1925年1月と2月に、木田が橋浦泰雄に宛てているのは、
岩内の「白水会」が開催する「田上義也ヴァイオリン独奏会」の打ち合わせ。
演奏会の会場や、橋浦と田上が作った曲について、
当時札幌に滞在していた橋浦とやりとりしています。
書簡の詳細については、展覧会場でじっくりと。
旅での収穫が、2年越しに皆さんにお伝えできる、
とても嬉しい機会となりました。
資料調査、展示協力をいただいた鳥取県立図書館に、
心より感謝申し上げます。
(学芸員 岡部 卓)
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2010特別展示
木田金次郎の交流圏
「田上義也―北方建築の種」展
11月7日(日)まで開催中
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