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追悼・針生一郎さん

日本を代表する美術評論家である、針生一郎(はりう・いちろう)さんが、
5月26日に亡くなられました。84歳でした。

針生さんは現代美術への批評で著名な方ですが、
木田金次郎との接点から、岩内にも2度、足を運ばれています。

木田との接点は、1959(昭和34)年5月に、
東京・日本橋高島屋で開催された「木田金次郎作品展」。
当時33歳、
気鋭の美術評論家だった針生さんは、この展覧会を鑑賞し、
その翌月、展覧会評を美術雑誌『みづゑ』に寄せています。

4月7日から1週間、
高島屋でおこなわれた木田金次郎作品展は、
美術界に自己検討のテーマをあたえるような事件だった。

                     (『みづゑ』649号:1959年6月)

この記事が、
木田の画業を全国に発信する大きな力となったのでした。

それから43年。
針生さんからのお申し出もあり、岩内での講演会が実現したのでした。

2002針生一郎講演会
当館展示室で行われた「針生一郎講演会」。
会場には100人も。この講演も「事件」です。2002年5月18日


この時76歳の針生さんは、
「木田金次郎の生涯と芸術」と題した講演で、
平澤貞通や澁澤龍彦も登場する、非常に刺激的なお話をされました。

2002モイワに立つ針生氏
講演に先立ち、木田が描いた現場をたどる針生さん。モイワにて。
2002年5月18日


当館とのご縁は、これだけにとどまりませんでした。
この頃、当館の活動を通じて少しずつ明らかになっていた「木田金次郎の交流圏」
その重要なひとりである橋浦泰雄(はしうら・やすお)に、
大きな関心を寄せていた針生さんは、
当館の会報『群暉(くき)』2005年夏号(Vol.40)に、
「木田金次郎と橋浦泰雄~2002年5月講演の補遺~」をご寄稿いただきました。

この中で針生さんは、
橋浦泰雄が、木田の漁師時代の経験から伝え聞いた、
下北半島・尻屋村の「原始共産制」について、
現地調査を強く念願していました。

その後、当館では、2007年に、
「木田金次郎の交流圏」を大きなテーマとした特別展示、
「橋浦泰雄―旅への導き」展を開催。
これを観るために、針生さんは再度岩内を訪れたのでした。

2007橋浦泰雄展を観る針生氏
「橋浦泰雄―旅への導き」展を鑑賞する針生さん。この翌日、念願の下北半島行きも実現されました。2007年7月31日

この時81歳の針生さん。
橋浦泰雄の資料を観る真剣なまなざしを、すぐ側で見ていた私は、
針生さんの並々ならぬ橋浦泰雄への関心に圧倒される思いでした。

同時代を生きた画家として、
地方でこれだけの活動をしてきた画家として、
木田金次郎を「現代美術」として見つめ続けてきた針生さん。


ご冥福を心よりお祈りいたします――。



(学芸員 岡部 卓)

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