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生誕祭記念講演「木田金次郎との出会い」要約 

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7月18日、第2展示室で「木田金次郎との出会い」と題し記念講演があった、講師は池内紀さん。
ドイツ文学者だがエッセイストとしても良く知られており美術にも造詣が深い。
聴衆は約40名。
木田の絵の見方について私には得る所多く目からうろこの感であった。
以下、要約は次のとおり。
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15年前に開館間もない木田美術館を初めて訪れてみた。
印象派の絵描きさんというイメージがあったが、実際に見て印象派に収まらずそれからはみ出していると感じた。それ以来、木田は気になる絵描きさんだった。
日本の印象派作家による風景画は、特に念入りに見ているのだが、木田の作品は明らかに他とは異質なものがある。アトリエ作家の作品とはまったく違う。
どこが違うのか確かめたくて冬の岩内へやって来て、美術館で学芸員の岡部さんから話を聞いた。
美術用語でなく感じたまま言うと、木田は見て感じたまま描いた。感じたものをそのまま表現しようという意欲が絵になっている。見た目が美しいとか構成がどうかでないから、木田は表現意欲の質が他の絵描きとはまったく違うのだ。
これは1910年代にドイツで興った表現主義運動にまさに重なっている。
運動に参加した絵描きたちは当時の世界大戦で戦死しその才能を開花させることができなかった。
日本でも表現主義は一定の影響はあったが、風景画よりもむしろ風俗画に多かった。
木田の絵に表現主義の傾向が顕著に現れてくるのは岩内大火以降だ。
大火ですべてを失なったが逆に過去と決別する機縁ととらえた。
「これからが絵描きとして本当の仕事ができる」この言葉はよき明日のため絵描きとして人間として表現しようという意思、意欲を述べた決意である。
つまり、見えたもの以上に見えないものを描く。
素材も色もタッチもそんな木田の意思を表している。
これが木田の大きな特徴だ。
作品「大火直後の岩内港」では目に見えるものだけでなく見えないものも焼けている。
それは土であり空気であり水であり太陽もだ。
大火という圧倒的な暴力に対し少しだけ声をあげる生き物のしるしを描いた。
また「茂岩」も単に風景としてでなく茂岩の根っこにある大地とかそういうものの象徴として描いた。

絵の見方だが、最近の複製技術の進歩、メディアの発達で絵の情報は容易に仕入れやすくなった。しかしそれでは見たつもりわかったつもりにはなるが、本質的には何もわかっていない。コピー100より本物一つ見たほうがいいのだ。
見ているうちになんとなくわかる。
自然に奥深さがわかってくる。楽しさも感じてくる。
特に木田の表現はコピーでは決してわからない。
これが木田の作品を見る場合、気をつける大事な要素だと思う。

最後に、木田はとても幸せな人だったと思う。
大火という不運もあったが、伝えたい人がいたことだ。
小学校の担任の先生、生涯の友人、絶えず支援した画材店主、道銀頭取等。
中でも奥さんが一番だ。
人間的な出会いに恵まれた。

                 O.Y
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(講演終了後、サイン会が行われました。
イラスト入りのサインにみなさん嬉しそう!)

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