惜しまれながら「有島・木田パネル展」終了

木田美術館第4展示室で開催していた「再会100年有島武郎と木田金次郎パネル展」が昨年12月27日に惜しまれながら終了しました。

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今回の展示は平成29年3月24日より3日間、札幌駅前の地下歩行空間で「小説家有島武郎と画家木田金次郎」のパネル展で紹介された作品に、新たな資料を加え、二人の生涯と活動を伝える内容でした。


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最初に「有島武郎のあゆみ」として1878年に誕生した有島武郎の家庭環境や1884年ミッションスクール横浜英和学校入学、学習院編入、その後進学した札幌農学校での新渡戸稲造との出会い、卒業後米国へ留学し、ハーバード大学大学院で美術史、宗教史、労働問題等を学びヨーロッパを経由して1907年に帰国、札幌市の母校での英語、倫理学等の講義や研究生活の後、文学の道に進み「或る女」「生まれ出づる悩み」「惜しみなく愛は奪ふ」等、その他の話題作で流行作家となり1923年軽井沢の別荘で情死した有島の生涯と共に、狩太の農場解放、共生農園の設立、有島記念館の建設に至る経緯が紹介されておりました。


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続く「木田金次郎のあゆみ」では1893年生まれの木田が東京の開成中学に入学、京北中学への編入、そして諸事情による帰郷、有島との出会いや新聞連載小説「生まれ出づる悩み」のモデル画家となった背景、1953年の札幌今井百貨店での初個展、1954年9月洞爺丸台風下での岩内大火で1600点とも云われる作品の焼失をしました。その後失意の底からの再起と1959年朝日新聞社主催の東京日本橋高島屋での展覧会が大成功し、木田は全国的な知名度を手にしました。

1910年木田が初めて有島に出会った7年後の1917年二人は狩太の有島農場で再会するが、その折木田のもとに有島から「農場で待つ」と巻紙に毛筆で書かれた達筆の書幹が届くが、この書幹が今回の展示作品の最後を飾っていました。

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今回のパネル展は木田が有島と再会した1917年からちょうど100年後の2017年の開催でありました。(M.T)
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