ポプラの会20周年特集②~ポプラの会発足を見届け近美に行った久米さん~

 開館の頃、私は恐る恐るボランティアの第一歩を踏み出した。
目前の開館に向けて諸準備たけなわで活気に満ちていた。
木田美術館がついにできるのだ。
準備に携わる人たちはみんな輝いていた。
中でも学芸員の久米さんはエネルギッシュで山のような開館諸業務を清本係長と3名の女子職員が息を合わせ次々とこなしていた。
私たちはそういう中へ飛び込んだのである。
 
 平成6年11月3日、祝福のうちにオープン。34名のボランティアはセレモニーと展示室監視等で持ち場持ち場に分かれ不慣れながら皆さんに喜んでもらえるように頑張った。
 
 開館時の賑わいが過ぎるとリアクションがやって来た。
美術館に来ても来館者0の日はやることがない。おしゃべりして帰る。
またボランティア経験が多少ある人はそれなりに丁寧にそつなく対応できるから館もいざという時にまず声をかける。
活動に対してやる気の温度差プラス個人差が表面化するとバラバラ感が目立ってくる。
個人参加だから都合のいい時に来て、やれることをやればいいんだという人も一定数いたが、久米さんの理念は違った。
美術館運営のためにはボランティアを組織化しいくつかの作業を分担してもらう構想を持っていた。
平成7年からこの構想を具体化した案が目に触れるようになる。ボランティア内でも何とかしなければの思いを有する人はいたが、その時は時期尚早で見送られる。
久米さんは次の手を打つ。全ボランティアからアンケートを取った。活動ごとに項目を設定し感想や疑問点を書かせた。その集約結果を臨時のミーティングに出す。これらの問題点解決には組織化した方が誰が何の活動をするかわかるし会員同士の交流も盛んになり意志疎通ができる。これで流れが決まる。
規約は函館イチイの会をモデルに若干変更、名称は「ポプラの会」設置の部に所属部員決定等、平成9年2、3月で一気に前進、5月9日の設立総会を迎える。
久米さんの読みの深さと適切な好リードの賜物でポプラの会が誕生したと言っていいだろう。
 
 ところがその年の6月、降って湧いたように久米さんが近美へ異動のニュースが流れた。新天地で思う存分暴れたいのだろう。

以下私のメモから…。
H9年6月22日 森国係長の電話 久米さんの送別会にポプラは美術振興協会と合同でやるか単独か。
役員の意向はボランティアだけでだった。久米さんに対する思いがわかる。

6月25日 久米さんに正式案内。小林書店で記念品の広辞苑と色紙を買いそろえる。

6月29日 送別会は「でめ金」6:30。参加者久米さん、梅庭館長、森国係長に会員14名。二次会は「ウィング」で歌い踊り盛り上がる。

7月 6日 12時久米さんの出発を美術館前で見送る。

送別会単独の発想は当時のボランティア(女性)が久米さんに対し抱いた思いをどうしても感じる。
余人を交えず身内だけで別れを惜しみたい。久米さんロスなのか彼の退任後数名相次いで退会した。
久米さんから岡部さんへ―ポプラの会自立に向けて大きな潮目になった。(O.Y)
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