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木田金次郎美術館名誉館長 青塚誠爾先生と「元朝の漁港」

雪まじりの寒風の中を鯳漁の漁船が沖に向かう。岩内港の冬の風物詩と云えます。
港町岩内の冬は鯳はえ縄漁業で漁師も水産加工場も忙しい季節を迎えます。
歳末の慌ただしさも除夜の鐘と共に新年を迎えると元旦は漁も休みとなり港もおだやかな表情を取り戻します。

以前、毎年元旦の朝に岩内港で絵筆を握る画家がおりました。
木田金次郎美術館の名誉館長青塚誠爾先生でした。
木田金次郎の門下生として現場主義こそ写実絵画の基本との教えを忠実に守り、その年の描き初めは、日の丸と大漁旗を掲げた漁船を係留する新春の岩内港でした。
季節風の西風が吹き荒ぶ中、寒さにもめげず毎年元旦の港の姿を描き続けて来ました。
例年道展への出品作品は「元朝の漁港」のタイトルで2005年青塚先生が亡くなるまで30年余りも続きました。
画題は同じでも構図は毎年異なり、岩内港風景はライフワークでもありました。

がんちょう
「元朝の漁港」1986年

現在、道新の文化部長の鳥居和比徒さんが岩内支局長時代に道新2004年1月17日のコラム「地域」に次のような記事を書いております。
北海道新聞岩内支局の新年の仕事は毎年、元日の朝に岩内港岸壁で漁船の絵を描いている男性への取材から始まる。同町在住の道展会員青塚誠爾さん(80才)木田金次郎最後の弟子の一人だ。港での描き初めも木田から「港には変化がある。モチーフになるものがたくさんある」と勧められたのがきっかけだったと云う。

この頃お正月の道新には岩内港で制作中の青塚先生の写真と記事がよく掲載されました。
青塚先生が亡くなられて13年余りとなりましたが、毎年この季節には「老先短い老画学生」と云いながら元日の制作に必要な準備をされていた青塚先生の姿がなつかしく思い出されます。(M.T)
元朝
「元朝の漁港<遺作>」2005年
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