さすがボッテイチェリ

3月末に上野の公園に行った。入口の早咲きの桜が満開で美しかった。
勿論狙いはイタリア、ルネサンスを代表する ボッテイチェリ 展。
20160503105743のコピー

中学の時に見た画集の中の「ビーナスの誕生」と「春」に魅せられてしまった私。
大人になってその絵が輪郭線で縁取られていることを知った。
輪郭線?浮世絵と同じなの?そんな疑問を持って東京都美術館に入った。

入ってすぐのところに大きな<書斎の聖アウグスティヌス(聖アウグスティヌスに訪れた幻視)>があった。
剥離されたフレスコ画だそうで大きな祭壇額縁に入れてあった。その聖アウグスティヌスの存在感に圧倒されてしまった。
学識豊かな、そして若い頃道に迷いながら神に出会った人間の奥深さがそこにはあった。

今回は ボッテイチェリだけではなく、師匠のフイリッポ・リッピと弟子であったサンドロ・ボッテイチェリ、フイリッポ・リッピの息子の フイリッピーノ・リッピの3人の作品が展示されていた。
師匠は温かみのある作風で、初期の イタリア、ルネサンスらしさが出ていた。
技術より内面描写が大切にされていた。息子の フイリッピーノ・リッピは技術的にはとてもうまいのだが、聖母子の出てくる群像でなぜか女性のモデル数が少なく絵の虚構性に疑問を感じてしまった。
少なくとも聖母のモデルは1人にするのではないだろうか。
う~んよくわかりません。

私の愛するボッテイチェリはやはりうまい。
輪郭線もたしかにあったが、気にならない。
技術的なことだけでなく人物の内面の深さまで感じ取れる。
その彼が信仰の問題により、15世紀末には形式化してルネサンス独特の文化の息吹や 伸びやかさを失ってしまう。
新聞の評論に出ていた通りだった。
でも私は<美しきシモネッタの肖像>に顔の外側の面から内部へと切り込んでゆく画家の鋭い感性を感じる。
そこにあるのは表面的な写実ではなく、人間の 実存を問い続けるボッテイチェリの姿だった。
その真剣さ故に彼は変遷していかざるを得なかったのでは、と思う。(S、S)

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