文学館巡りin九州

3月の博多を娘とふたり旅すると決めた際に、是非北原白秋記念館には行きたいと意見が一致し、柳川のひな祭り(さげもんめぐり)を見物しがてら、北原白秋生家記念館を訪れました。

きたはらはくしゅう
生家は、海産物問屋から白秋の父の代で酒造業に移り、明治33年大火で大半を消失。昭和44年に復元し公開されました。
歴史ある大店、贅沢に養育され繊細な感性が育まれたのかも、と感じました。造酒屋の長男であり、大きい坊や=トンカジョンと呼ばれて育ち、後々までこの柳川語を長く使っていたそうです。

文学のため19才で上京、20年ぶりに生家に戻ると、缶詰工場に変わっていたという哀しい現実にも驚きました。故郷に錦を飾っても、実家の移り変わりに何を思ったのでしょうか。

私は童謡が好きで、子守歌に「チョッキンナー」と床屋の歌を歌ってたこと、懐かしく思い出しました。
娘は「ペチカ」が大好きで、復刻版の詩集を買っていました。


勢いに乗りまだ文学館を訪ねたくなったので、翌日は北九州市門司の林芙美子記念館に出かけました。
はやしふみこ
林芙美子は職を転々としながら小説「放浪記」のベストセラーを生み出し、流行作家になってから、シベリア鉄道で渡欧したり、戦場の特派員記者になり南京陥落を報道するなど、明治生まれの女性の中では特異な存在で気になっていました。
記念館の資料を見て感じたことは、夢多き普通の女の子だったのに、その夢を諦めないで現実に引き寄せた人なんだ、ということ。
この時代にやりたいことを追求したら、周りもとやかく言うでしょうと思い、林芙美子の悪評が誇張されたのではと同情しました。ルンペン作家、なんて呼ばれていたのですね・・・・辛辣でしょう。


続いて、北九州市小倉の松本清張記念館にJRで移動。

まともとせいちょう

小倉城の隣に記念館があるのですが、白く輝くお城に目を奪われてしまいました。市街地の生活圏にお城がそびえているなんて、ドサンコの私には衝撃でした。
目玉は杉並区の自宅の書斎/書庫/仕事場を再現した展示で、蔵書3万冊がガラス越しに見えるようになっていました。創作活動が多岐にわたる松本清張の資料展示は、苦労が多いだろうと思いました。それでも郷土の誇りであり、この業績を忘れられてはならないーという記念館のあり方に、感心させられました。清張にとって北九州が作家活動の原点であり、うけた影響は計り知れないと思いました。

北九州市は炭坑で栄えた町。
北海道の気風に通じるものもあるようで、時代の流れが大きく変わった歴史の中で、才能ある人々が浮き沈みしていくようなイメージがいつまでも残されています。(S・K)

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