どんざ丸
北海道岩内町・木田金次郎美術館のスタッフブログです。
鑑賞スケッチノート
○2017/7/1 様似町 S.H様
バラや牡丹、風景画とは別の一面を見て感動!
○2017/7/4 小樽市 M様
圧倒的なすごみのある絵に魅了されました。
○2017/7/5 新潟県 S.A様
油絵の美しさを感動を持って鑑賞いたしました。
ありがとうございました。
○2017/7/5 札幌市 匿名
「海」の絵に心ひかれます。
○2017/7/6 福井県 T.T様
作品の点数も多く楽しめました。
素晴らしかったです。
○2017/7/6 新潟県 K.A様
人生一路、木田金次郎さんの絵の中に感じました。
音が聞こえてくる様な海の景観。すばらしいと感銘。
○2017/7/6 札幌市 匿名
りんご、菜の花、バラ、岩内の風景ばかりと思ってましたが、静物も良かったです。
○2017/7/7 北斗市 H.N様
何か語りかけられるような感覚でした。
力強さ、たくましい人柄の中に繊細な息づかいを感じ良い時間でした。
○2017/7/23 泊村 Y.H様
岩内から泊へ転勤になり、現在堀株に住んでいます。
木田金次郎さんの作品には「堀株(ホリカップ)」という名がついているものがたくさんあり、これも何かの縁かと思いました。
絵の中に描かれている風景を実際に探してみようかと思っています。
○2017/7/27 東京都 F.K様
鑑賞を通して感じたのは、地方に腰を据えて何十年も描き続け、自然や生命や自己との対話を続けてきた人間の凄まじさです。
東京で暮らす私はこれまでいつも何かに焦り、目先のものにとらわれて、原理的思考や自己との対話などを疎かにしてきました。
きっと私も腰を据えて一つのことをやってみるべきなのでしょう。
静かに諭されたような思いがします。
○2017/7/29 福島県 O.Y様
念願かない美術館見学でき、とても嬉しいです。バラの花が心に強く残っています。
『生まれ出づる悩み』も読みました。
すばらしい絵を見ることができ、よい旅の思い出となりました。
ありがとうございました。
○2017/7/29 東京都 M様
『生まれ出づる悩み』のモデルとなった画家の作品を鑑賞することができてとても嬉しかったです。
岩内の海と港を描く作品に心惹かれました。
バラや牡丹、風景画とは別の一面を見て感動!
○2017/7/4 小樽市 M様
圧倒的なすごみのある絵に魅了されました。
○2017/7/5 新潟県 S.A様
油絵の美しさを感動を持って鑑賞いたしました。
ありがとうございました。
○2017/7/5 札幌市 匿名
「海」の絵に心ひかれます。
○2017/7/6 福井県 T.T様
作品の点数も多く楽しめました。
素晴らしかったです。
○2017/7/6 新潟県 K.A様
人生一路、木田金次郎さんの絵の中に感じました。
音が聞こえてくる様な海の景観。すばらしいと感銘。
○2017/7/6 札幌市 匿名
りんご、菜の花、バラ、岩内の風景ばかりと思ってましたが、静物も良かったです。
○2017/7/7 北斗市 H.N様
何か語りかけられるような感覚でした。
力強さ、たくましい人柄の中に繊細な息づかいを感じ良い時間でした。
○2017/7/23 泊村 Y.H様
岩内から泊へ転勤になり、現在堀株に住んでいます。
木田金次郎さんの作品には「堀株(ホリカップ)」という名がついているものがたくさんあり、これも何かの縁かと思いました。
絵の中に描かれている風景を実際に探してみようかと思っています。
○2017/7/27 東京都 F.K様
鑑賞を通して感じたのは、地方に腰を据えて何十年も描き続け、自然や生命や自己との対話を続けてきた人間の凄まじさです。
東京で暮らす私はこれまでいつも何かに焦り、目先のものにとらわれて、原理的思考や自己との対話などを疎かにしてきました。
きっと私も腰を据えて一つのことをやってみるべきなのでしょう。
静かに諭されたような思いがします。
○2017/7/29 福島県 O.Y様
念願かない美術館見学でき、とても嬉しいです。バラの花が心に強く残っています。
『生まれ出づる悩み』も読みました。
すばらしい絵を見ることができ、よい旅の思い出となりました。
ありがとうございました。
○2017/7/29 東京都 M様
『生まれ出づる悩み』のモデルとなった画家の作品を鑑賞することができてとても嬉しかったです。
岩内の海と港を描く作品に心惹かれました。
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ポプラの会20周年特集②~20年を振り返って
NO.2 『ポプラの会発足を見届け近美に行った久米さん』
開館の頃、私は恐る恐るボランティアの第一歩を踏み出した。
目前の開館に向けて諸準備たけなわで活気に満ちていた。
木田美術館がついにできるのだ。
準備に携わる人たちはみんな輝いていた。
中でも学芸員の久米さんはエネルギッシュで山のような開館諸業務を清本係長と3名の女子職員が息を合わせ次々とこなしていた。
私たちはそういう中へ飛び込んだのである。
平成6年11月3日、祝福のうちにオープン。34名のボランティアはセレモニーと展示室監視等で持ち場持ち場に分かれ不慣れながら皆さんに喜んでもらえるように頑張った。
開館時の賑わいが過ぎるとリアクションがやって来た。
美術館に来ても来館者0の日はやることがない。おしゃべりして帰る。
またボランティア経験が多少ある人はそれなりに丁寧にそつなく対応できるから館もいざという時にまず声をかける。
活動に対してやる気の温度差プラス個人差が表面化するとバラバラ感が目立ってくる。
個人参加だから都合のいい時に来て、やれることをやればいいんだという人も一定数いたが、久米さんの理念は違った。
美術館運営のためにはボランティアを組織化しいくつかの作業を分担してもらう構想を持っていた。
平成7年からこの構想を具体化した案が目に触れるようになる。ボランティア内でも何とかしなければの思いを有する人はいたが、その時は時期尚早で見送られる。
久米さんは次の手を打つ。全ボランティアからアンケートを取った。活動ごとに項目を設定し感想や疑問点を書かせた。その集約結果を臨時のミーティングに出す。これらの問題点解決には組織化した方が誰が何の活動をするかわかるし会員同士の交流も盛んになり意志疎通ができる。これで流れが決まる。
規約は函館イチイの会をモデルに若干変更、名称は「ポプラの会」設置の部に所属部員決定等、平成9年2、3月で一気に前進、5月9日の設立総会を迎える。
久米さんの読みの深さと適切な好リードの賜物でポプラの会が誕生したと言っていいだろう。
ところがその年の6月、降って湧いたように久米さんが近美へ異動のニュースが流れた。新天地で思う存分暴れたいのだろう。
以下私のメモから…。
H9年6月22日 森国係長の電話 久米さんの送別会にポプラは美術振興協会と合同でやるか単独か。
役員の意向はボランティアだけでだった。久米さんに対する思いがわかる。
6月25日 久米さんに正式案内。小林書店で記念品の広辞苑と色紙を買いそろえる。
6月29日 送別会は「でめ金」6:30。参加者久米さん、梅庭館長、森国係長に会員14名。二次会は「ウィング」で歌い踊り盛り上がる。
7月 6日 12時久米さんの出発を美術館前で見送る。
送別会単独の発想は当時のボランティア(女性)が久米さんに対し抱いた思いをどうしても感じる。
余人を交えず身内だけで別れを惜しみたい。久米さんロスなのか彼の退任後数名相次いで退会した。
久米さんから岡部さんへ―ポプラの会自立に向けて大きな潮目になった。(O.Y)
開館の頃、私は恐る恐るボランティアの第一歩を踏み出した。
目前の開館に向けて諸準備たけなわで活気に満ちていた。
木田美術館がついにできるのだ。
準備に携わる人たちはみんな輝いていた。
中でも学芸員の久米さんはエネルギッシュで山のような開館諸業務を清本係長と3名の女子職員が息を合わせ次々とこなしていた。
私たちはそういう中へ飛び込んだのである。
平成6年11月3日、祝福のうちにオープン。34名のボランティアはセレモニーと展示室監視等で持ち場持ち場に分かれ不慣れながら皆さんに喜んでもらえるように頑張った。
開館時の賑わいが過ぎるとリアクションがやって来た。
美術館に来ても来館者0の日はやることがない。おしゃべりして帰る。
またボランティア経験が多少ある人はそれなりに丁寧にそつなく対応できるから館もいざという時にまず声をかける。
活動に対してやる気の温度差プラス個人差が表面化するとバラバラ感が目立ってくる。
個人参加だから都合のいい時に来て、やれることをやればいいんだという人も一定数いたが、久米さんの理念は違った。
美術館運営のためにはボランティアを組織化しいくつかの作業を分担してもらう構想を持っていた。
平成7年からこの構想を具体化した案が目に触れるようになる。ボランティア内でも何とかしなければの思いを有する人はいたが、その時は時期尚早で見送られる。
久米さんは次の手を打つ。全ボランティアからアンケートを取った。活動ごとに項目を設定し感想や疑問点を書かせた。その集約結果を臨時のミーティングに出す。これらの問題点解決には組織化した方が誰が何の活動をするかわかるし会員同士の交流も盛んになり意志疎通ができる。これで流れが決まる。
規約は函館イチイの会をモデルに若干変更、名称は「ポプラの会」設置の部に所属部員決定等、平成9年2、3月で一気に前進、5月9日の設立総会を迎える。
久米さんの読みの深さと適切な好リードの賜物でポプラの会が誕生したと言っていいだろう。
ところがその年の6月、降って湧いたように久米さんが近美へ異動のニュースが流れた。新天地で思う存分暴れたいのだろう。
以下私のメモから…。
H9年6月22日 森国係長の電話 久米さんの送別会にポプラは美術振興協会と合同でやるか単独か。
役員の意向はボランティアだけでだった。久米さんに対する思いがわかる。
6月25日 久米さんに正式案内。小林書店で記念品の広辞苑と色紙を買いそろえる。
6月29日 送別会は「でめ金」6:30。参加者久米さん、梅庭館長、森国係長に会員14名。二次会は「ウィング」で歌い踊り盛り上がる。
7月 6日 12時久米さんの出発を美術館前で見送る。
送別会単独の発想は当時のボランティア(女性)が久米さんに対し抱いた思いをどうしても感じる。
余人を交えず身内だけで別れを惜しみたい。久米さんロスなのか彼の退任後数名相次いで退会した。
久米さんから岡部さんへ―ポプラの会自立に向けて大きな潮目になった。(O.Y)
しりべしミュージアムロード・コンサートのお知らせ
現在開催中の しりべしミュージアムロード展「おしゃべり美術館」の音楽イベントとして
9月2日(土)・3日(日)の2日間
「しりべしミュージアムロード・コンサート2017」
が行われます。
しりべしミュージアムロード(有島記念館、荒井記念美術館、西村計雄記念美術館、小川原脩記念美術館、木田金次郎美術館)の5つの館を
大島さゆりさん、多川智子さん、亀岡三典さんが巡り、
美しい音楽を奏でます

お近くの美術館・文学館へ、またはこの機会に5館を巡り、
各館の違った雰囲気をお楽しみください。
木田美術館は9月2日(土)19:00より
展示室の中での演奏です
絵画に囲まれながらゆっくりとご鑑賞いただけます。
皆様のお越しをお待ちしております
**************************
『しりべしミュージアムロード・コンサート2017』
2017年9月2日(土)
◆11:00~11:40 小川原脩記念美術館・無料(倶知安町)
◆15:00~15:40 有島記念館・無料(ニセコ町)
◆19:00~19:40 木田金次郎美術館・要観覧料(岩内町)
2017年9月3日(日)
◆10:00~10:40 一般財団法人荒井記念美術館・無料(岩内町)
◆14:00~14:40 西村計雄記念美術館・要観覧料(共和町)
**************************
9月2日(土)・3日(日)の2日間
「しりべしミュージアムロード・コンサート2017」
が行われます。
しりべしミュージアムロード(有島記念館、荒井記念美術館、西村計雄記念美術館、小川原脩記念美術館、木田金次郎美術館)の5つの館を
大島さゆりさん、多川智子さん、亀岡三典さんが巡り、
美しい音楽を奏でます


お近くの美術館・文学館へ、またはこの機会に5館を巡り、
各館の違った雰囲気をお楽しみください。
木田美術館は9月2日(土)19:00より
展示室の中での演奏です

絵画に囲まれながらゆっくりとご鑑賞いただけます。
皆様のお越しをお待ちしております

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『しりべしミュージアムロード・コンサート2017』
2017年9月2日(土)
◆11:00~11:40 小川原脩記念美術館・無料(倶知安町)
◆15:00~15:40 有島記念館・無料(ニセコ町)
◆19:00~19:40 木田金次郎美術館・要観覧料(岩内町)
2017年9月3日(日)
◆10:00~10:40 一般財団法人荒井記念美術館・無料(岩内町)
◆14:00~14:40 西村計雄記念美術館・要観覧料(共和町)
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岩内にジャズの文化を
6月28日に岩内文化センター大ホールで『Iwanai Jazz』というコンサートがあった。
サックスの峰厚介が中心になり、オリジナルの正統派モダンジャズを演奏していて、本格的で驚いた。
それでこの企画をした根間洋明さんに話を伺った。

根間さんが昨年東京のライブハウスで向井滋春の演奏を聴いていたら、演奏後に向井滋春が何回も根間さんに声をかけてきたそうだ。
岩内は良いところだと話をしているうちに岩内でトロンボーンのコンサートをやりたいということを頼まれたそうだ。
頼まれたらそれを実現してしまうところが凄い。
昨年9月に岩内文化センター大ホールで向井滋春らを呼んで250名集客してコンサートを成功させた。
その後、今年の2月にセーラーというライブハウスでギターの岡本広や秋田祐二を呼んで、33名のミニコンサートを企画した。
今回が3回目で、峰厚介、アルトサックスの奥野義典、ピアノの中島広恵、バスの秋田祐二、ドラムの小山彰太という主に札幌を中心としたミュージシャンを集めて、180名の観客を魅了した。
根間さんのこの企画は「岩内という地域を盛り上げ、小中学生、高校生たち若い世代にいいものにふれてもらい、一流の芸術に触れることで刺激を与えてゆきたい」ということだった。
最初は、岩内協会病院の後援だけだったが、岩内町教育委員会も賛同してくれ、徐々に地域に浸透してきている手ごたえを感じているという。
音楽というと日本ではどうしてもクラシックから入り、小中学校、高校でも合唱、ブラスバンド含めてその傾向は否めない。
ピアノも声楽もなぜかそれが出発点なのだ。
そのなかで、岩内では馴染みの薄いジャズを紹介する根間さんの試みは、とても異色だった。
これからの活動から目が離せない何かを感じた。(S,S)
サックスの峰厚介が中心になり、オリジナルの正統派モダンジャズを演奏していて、本格的で驚いた。
それでこの企画をした根間洋明さんに話を伺った。

根間さんが昨年東京のライブハウスで向井滋春の演奏を聴いていたら、演奏後に向井滋春が何回も根間さんに声をかけてきたそうだ。
岩内は良いところだと話をしているうちに岩内でトロンボーンのコンサートをやりたいということを頼まれたそうだ。
頼まれたらそれを実現してしまうところが凄い。
昨年9月に岩内文化センター大ホールで向井滋春らを呼んで250名集客してコンサートを成功させた。
その後、今年の2月にセーラーというライブハウスでギターの岡本広や秋田祐二を呼んで、33名のミニコンサートを企画した。
今回が3回目で、峰厚介、アルトサックスの奥野義典、ピアノの中島広恵、バスの秋田祐二、ドラムの小山彰太という主に札幌を中心としたミュージシャンを集めて、180名の観客を魅了した。
根間さんのこの企画は「岩内という地域を盛り上げ、小中学生、高校生たち若い世代にいいものにふれてもらい、一流の芸術に触れることで刺激を与えてゆきたい」ということだった。
最初は、岩内協会病院の後援だけだったが、岩内町教育委員会も賛同してくれ、徐々に地域に浸透してきている手ごたえを感じているという。
音楽というと日本ではどうしてもクラシックから入り、小中学校、高校でも合唱、ブラスバンド含めてその傾向は否めない。
ピアノも声楽もなぜかそれが出発点なのだ。
そのなかで、岩内では馴染みの薄いジャズを紹介する根間さんの試みは、とても異色だった。
これからの活動から目が離せない何かを感じた。(S,S)
黄色いレシートキャンペーン贈呈式
イエローレシートキャンペーン贈呈式が7月19日に行われました。
これはマックスバリュ共和店様が各企業を支えているボランティア団体に対して活動の基金を必要な品物に替えて支援して下さる制度です。
毎月決められた月1回11日の日の売り上げレシートを黄色にして、お客様がお買物レシートを支援したいボランティア団体の名前のついた店内にある箱の中に入れて下さるだけでいいのです。
その箱の中のレシートの合計の1%の金額をボランティア活動に必要な物を品物にして、1年に1度贈って頂くものです。
主に文具類等が多く、美術館広報等のパソコン使用や棚等の必要な品を贈って頂きボランティア活動を円滑にさせて頂いておりますこと深く感謝させて頂きます。(S.K)

これはマックスバリュ共和店様が各企業を支えているボランティア団体に対して活動の基金を必要な品物に替えて支援して下さる制度です。
毎月決められた月1回11日の日の売り上げレシートを黄色にして、お客様がお買物レシートを支援したいボランティア団体の名前のついた店内にある箱の中に入れて下さるだけでいいのです。
その箱の中のレシートの合計の1%の金額をボランティア活動に必要な物を品物にして、1年に1度贈って頂くものです。
主に文具類等が多く、美術館広報等のパソコン使用や棚等の必要な品を贈って頂きボランティア活動を円滑にさせて頂いておりますこと深く感謝させて頂きます。(S.K)

第23回生誕祭
平成29年7月16日木田金次郎誕生日に第23回生誕祭が催されました。
誕生日に生誕祭が開かれるのは当たり前なのでしょうが、最近はなかなかその当たり前のことができなくなってきてました。
また内容も従来の講演会ではなく、岡部学芸員による、スライドショーでした。

内容は木田と有島の交友を顧みるというものでありました。
有島の「生れ出づる悩み」出版から99年になるそうです。
また明治26年生まれの木田金次郎は今年124歳になるそうです。
木田が画家になる決意を固めたのが、有島が大正12年に亡くなった後だそうです。何故有島の存命中ではなく、死亡後であったのか興味が尽きないところです。有島の死にも興味がつきません。
私の高校時代の恩師で有島の研究学会である「星座の会」を主宰していた高山亮二先生も、有島の死についていろいろな仮説を立て、実証を試みたようであります。
一例が農地解放後の水田造成工事における訴訟問題です。その記録を調べに岩内検察庁においでになったことがあります。
当時の社会で農地解放という、資本主義に敢然と挑戦するがごとき行動への社会の反響に対する異議が情死というセンセーショナルな自演につながったのではないでしょうか。
そういった視点からアプローチしようとしてたのではないかと当時を想い起こされた生誕祭でありました。(M.N)

誕生日に生誕祭が開かれるのは当たり前なのでしょうが、最近はなかなかその当たり前のことができなくなってきてました。
また内容も従来の講演会ではなく、岡部学芸員による、スライドショーでした。

内容は木田と有島の交友を顧みるというものでありました。
有島の「生れ出づる悩み」出版から99年になるそうです。
また明治26年生まれの木田金次郎は今年124歳になるそうです。
木田が画家になる決意を固めたのが、有島が大正12年に亡くなった後だそうです。何故有島の存命中ではなく、死亡後であったのか興味が尽きないところです。有島の死にも興味がつきません。
私の高校時代の恩師で有島の研究学会である「星座の会」を主宰していた高山亮二先生も、有島の死についていろいろな仮説を立て、実証を試みたようであります。
一例が農地解放後の水田造成工事における訴訟問題です。その記録を調べに岩内検察庁においでになったことがあります。
当時の社会で農地解放という、資本主義に敢然と挑戦するがごとき行動への社会の反響に対する異議が情死というセンセーショナルな自演につながったのではないでしょうか。
そういった視点からアプローチしようとしてたのではないかと当時を想い起こされた生誕祭でありました。(M.N)

神田日勝記念館―菅訓章館長を偲んで―
8月になり北海道も月遅れのお盆を迎える頃となりました。
思い出多き方々を偲ぶ季節でもあります。
今年1月12日十勝の神田日勝記念館館長の菅訓章さんが65才で亡くなりました。
間もなく新盆を迎えます。
1937年東京都練馬で生まれ、1945年北海道鹿追町に入植した開拓農家の次男として育った神田日勝は「結局、どう云う作品が生まれるかは、どう云う生き方をするかにかかっている」と語り、農作業と共に好きな絵を描き続け1970年8月32歳でこの世を去りました。
木田金次郎は1893年7月岩内町に生まれ、家業の漁業を続けながら絵と向きあい「作品は人です。人間が鍛え上げられて、りっぱにならなければ、いい絵は生まれるはずはありません」と数々の傑作を残し1962年12月69歳で亡くなりました。
農民画家と呼ばれ、漁夫画家といわれた二人は生涯を北の大地の自然や身近な対象を画題に制作を続けました。

海と大地の邂逅「木田金次郎と神田日勝」展 図録より
1984年鹿追町で、1987年岩内町で、ほぼ同時期に二人の画家の地元でそれぞれの記念館、美術館を作ろうという市民運動が始まりました。
鹿追町では以前より神田日勝を支援してきた「ランプの会」が母体となり「神田日勝記念館建設実行委員会」が組織され、真言宗鹿追寺二代目住職で教育委員会職員の菅訓章さんが事務局長として記念館実現に奔走しました。
岩内町では若者中心に25名のメンバーで「木田金次郎美術館を考える会」が発足し、活動費も自前で多角的な視点で美術館建設運動が活発に進められました。同じ頃、競うように始まった地元作家の記念館、美術館の建設実現の運動はやがて多くの人々のバックアップと行政機関の理解も深まり1993年6月に「神田日勝記念館」が、1994年11月に「木田金次郎美術館」が誕生しました。
今年の新年早々新聞報道で菅訓章さんがまだまだ働き盛りの65歳で旅立った訃報を目にし、20年余り前、地域の芸術文化の振興発展に互いに競い合い、意識し合って汗を流した事を思い出し感慨深いものがありました。孟蘭盆も終え、あらためてご冥福をお祈りいたします。(M.T)
思い出多き方々を偲ぶ季節でもあります。
今年1月12日十勝の神田日勝記念館館長の菅訓章さんが65才で亡くなりました。
間もなく新盆を迎えます。
1937年東京都練馬で生まれ、1945年北海道鹿追町に入植した開拓農家の次男として育った神田日勝は「結局、どう云う作品が生まれるかは、どう云う生き方をするかにかかっている」と語り、農作業と共に好きな絵を描き続け1970年8月32歳でこの世を去りました。
木田金次郎は1893年7月岩内町に生まれ、家業の漁業を続けながら絵と向きあい「作品は人です。人間が鍛え上げられて、りっぱにならなければ、いい絵は生まれるはずはありません」と数々の傑作を残し1962年12月69歳で亡くなりました。
農民画家と呼ばれ、漁夫画家といわれた二人は生涯を北の大地の自然や身近な対象を画題に制作を続けました。

海と大地の邂逅「木田金次郎と神田日勝」展 図録より
1984年鹿追町で、1987年岩内町で、ほぼ同時期に二人の画家の地元でそれぞれの記念館、美術館を作ろうという市民運動が始まりました。
鹿追町では以前より神田日勝を支援してきた「ランプの会」が母体となり「神田日勝記念館建設実行委員会」が組織され、真言宗鹿追寺二代目住職で教育委員会職員の菅訓章さんが事務局長として記念館実現に奔走しました。
岩内町では若者中心に25名のメンバーで「木田金次郎美術館を考える会」が発足し、活動費も自前で多角的な視点で美術館建設運動が活発に進められました。同じ頃、競うように始まった地元作家の記念館、美術館の建設実現の運動はやがて多くの人々のバックアップと行政機関の理解も深まり1993年6月に「神田日勝記念館」が、1994年11月に「木田金次郎美術館」が誕生しました。
今年の新年早々新聞報道で菅訓章さんがまだまだ働き盛りの65歳で旅立った訃報を目にし、20年余り前、地域の芸術文化の振興発展に互いに競い合い、意識し合って汗を流した事を思い出し感慨深いものがありました。孟蘭盆も終え、あらためてご冥福をお祈りいたします。(M.T)
「Ochiro・ロビー展」
昨年に引き続き、「Ochiro・ロビー展」 が、
8月1日(火)~8月20日(日)の期間、
木田金次郎美術館の1階ロビーにおいて開催されています。

Ochiro君は、岩内高校美術部で活躍したのちクリエイター(創造者)をめざして単身上京。
持ち前の明るさと誰からも愛される人柄でどんどん活動の幅を広げています。何一つ人脈もない中での生活、独学での表現活動は、計り知れない苦労があったことと思います。
これまでの本人の努力は称賛に値します。教え子の活躍、心からうれしく思います。
今回のロビー展には、10点の出品ですが、十分見ごたえのある内容です。
作品には、Ochiro君独特の世界観が表現されていると同時に、個展やイベント開催を通して、数多くの鑑賞者の視線を浴びることによる洗練や品格のようなものが現れてきているように感じました。

ロビー展は、木田金次郎美術館、岩内高校、岩内町のみなさまのご支援で開催させていただいております。
そのご支援に報いるためには、近いうちに「Ochiro・個展」を木田金次郎美術館で!と願っています。
その実現のために今後の更なる精進、充実を期待したいと思います。
がんばれ!Ochiro!
元・岩内高校美術部顧問 福田好孝
8月1日(火)~8月20日(日)の期間、
木田金次郎美術館の1階ロビーにおいて開催されています。

Ochiro君は、岩内高校美術部で活躍したのちクリエイター(創造者)をめざして単身上京。
持ち前の明るさと誰からも愛される人柄でどんどん活動の幅を広げています。何一つ人脈もない中での生活、独学での表現活動は、計り知れない苦労があったことと思います。
これまでの本人の努力は称賛に値します。教え子の活躍、心からうれしく思います。
今回のロビー展には、10点の出品ですが、十分見ごたえのある内容です。
作品には、Ochiro君独特の世界観が表現されていると同時に、個展やイベント開催を通して、数多くの鑑賞者の視線を浴びることによる洗練や品格のようなものが現れてきているように感じました。

ロビー展は、木田金次郎美術館、岩内高校、岩内町のみなさまのご支援で開催させていただいております。
そのご支援に報いるためには、近いうちに「Ochiro・個展」を木田金次郎美術館で!と願っています。
その実現のために今後の更なる精進、充実を期待したいと思います。
がんばれ!Ochiro!
元・岩内高校美術部顧問 福田好孝
民謡に酔う NHK公開収録 全国放送
6月25日(日)NHK民謡魂が始まった。
5月25日文化センターで収録、今回の全国放送となった。
画面は岩内港、手前埠頭にTOKIOの城島が立つ。
「潮の香 いいですね」と切り出す。
岩内についても一言二言。
一転会場の照明を完全に落としたステージ中央に左右からまばゆいようなライトが交差するスポットから「舟こぎ流し唄」が圧倒的な声量で情感豊かに響き渡り一瞬にして館内を民謡の世界に惹き込む。伴奏の津軽三味線の音色もたまらない。
どの演目も歌と踊りが見事な一体感でアレヨアレヨという間に進行する。
歌手全員によるおなじみ「北海盆唄」に名曲「江差追分」鍛え抜かれた美声が尺八に乗り高く低く名調子で観衆はただうっとり。
趣向が代わり音楽劇「生きていくため海に出る岩内町物語」漁師の親方が主人公でニシン漁の繁栄と衰退、築港工事すけそう漁への大転換を軸に据え随所に歌と踊りを入れた構成劇。スキのない緊迫感ある演出の中で岩内衆の不撓不屈、進取性が伝わる。
次はやはりニシンで栄えた神恵内の出番。沖揚げ音頭保存会会長五十嵐さんが歌い保存会のメンバーが勇壮に揚げながらそれに和する。往時が彷彿とする。
ここで全員参加の「ドンパン節」会場が和む。その時、全く意表をついて一枚のパネルがスルスルと降りてきた。
思わず目を凝らす。
木田の傑作「夏の岩内港」。
思わぬ展開だが司会者の好解説、「漁で成した財を岩内人は芸術や文化の振興に注いだ。そういう風土の中で北海道を代表する画家木田金次郎が生まれた」ハンチングをかぶりイーゼルを立て港で写生する写真も紹介された。
羊蹄山の作品2枚も降り「羊蹄蝦夷富士の唄」が木田を讃えるように歌われる。
最後はにぎにぎしく「ソーラン節」でお開きとなった。(O.Y)
5月25日文化センターで収録、今回の全国放送となった。
画面は岩内港、手前埠頭にTOKIOの城島が立つ。
「潮の香 いいですね」と切り出す。
岩内についても一言二言。
一転会場の照明を完全に落としたステージ中央に左右からまばゆいようなライトが交差するスポットから「舟こぎ流し唄」が圧倒的な声量で情感豊かに響き渡り一瞬にして館内を民謡の世界に惹き込む。伴奏の津軽三味線の音色もたまらない。
どの演目も歌と踊りが見事な一体感でアレヨアレヨという間に進行する。
歌手全員によるおなじみ「北海盆唄」に名曲「江差追分」鍛え抜かれた美声が尺八に乗り高く低く名調子で観衆はただうっとり。
趣向が代わり音楽劇「生きていくため海に出る岩内町物語」漁師の親方が主人公でニシン漁の繁栄と衰退、築港工事すけそう漁への大転換を軸に据え随所に歌と踊りを入れた構成劇。スキのない緊迫感ある演出の中で岩内衆の不撓不屈、進取性が伝わる。
次はやはりニシンで栄えた神恵内の出番。沖揚げ音頭保存会会長五十嵐さんが歌い保存会のメンバーが勇壮に揚げながらそれに和する。往時が彷彿とする。
ここで全員参加の「ドンパン節」会場が和む。その時、全く意表をついて一枚のパネルがスルスルと降りてきた。
思わず目を凝らす。
木田の傑作「夏の岩内港」。
思わぬ展開だが司会者の好解説、「漁で成した財を岩内人は芸術や文化の振興に注いだ。そういう風土の中で北海道を代表する画家木田金次郎が生まれた」ハンチングをかぶりイーゼルを立て港で写生する写真も紹介された。
羊蹄山の作品2枚も降り「羊蹄蝦夷富士の唄」が木田を讃えるように歌われる。
最後はにぎにぎしく「ソーラン節」でお開きとなった。(O.Y)
Volunteer Diary
29/7/7
午前9時45分団体のお客様58名来館。ボランテイア3人で応対。ニセコで連泊する日程でリラックスされている様子。
今夜は岩内神社例大祭の初日。宵宮祭が神社で執り行われ赤坂奴や神楽の舞が奉納されます。
9日まで好天の予報です。ちょっとワクワク。(S.Mi)
29/7/12
ホ-マックで3人でメセナの買い物をする。店員さんを1人手助けに頼んでいて、物品は早く揃ったものの、店員さんたちと私もその後の処理が分からず、Sさんにアドバイスしてもらい何とかクリアーできました。感謝です。(S.S)
29/7/14
連日の厳しい暑さ。北海道では90数年ぶりだそうです。
ご夫婦と4人グループが来館。少しばて気味でしたが楽しく見て頂きました。
頭から湯気が立ち上がりそうですが、アイスミルクテイーを作って、元気を出します。(S.Mi)
午前9時45分団体のお客様58名来館。ボランテイア3人で応対。ニセコで連泊する日程でリラックスされている様子。
今夜は岩内神社例大祭の初日。宵宮祭が神社で執り行われ赤坂奴や神楽の舞が奉納されます。
9日まで好天の予報です。ちょっとワクワク。(S.Mi)
29/7/12
ホ-マックで3人でメセナの買い物をする。店員さんを1人手助けに頼んでいて、物品は早く揃ったものの、店員さんたちと私もその後の処理が分からず、Sさんにアドバイスしてもらい何とかクリアーできました。感謝です。(S.S)
29/7/14
連日の厳しい暑さ。北海道では90数年ぶりだそうです。
ご夫婦と4人グループが来館。少しばて気味でしたが楽しく見て頂きました。
頭から湯気が立ち上がりそうですが、アイスミルクテイーを作って、元気を出します。(S.Mi)
NPO法人アンジェラパート4
この頃お客様のIさんが店にオカリナを持ってきて、コンサート前の練習をしています。曲目は童謡やジブリの曲、クラシックと幅広くその音色がとても深くていい感じなのです。先日は利用者さんが来ているときにIさんが練習を始めたのでみんなでそばに行って聞かせてもらいました。まったりとして心安らぐ素敵なひと時を過ごすことができました。
また先週には、共和町小沢のT旅館から、ワインバーグという韓国の有名なメーカーのピアノを寄贈していただきました。

調律師のOさんが私の話を聞いて、お店に来てくれて、その雰囲気にあうピアノをフェイスブックで呼びかけて探してくださったのです。今は製造していない型で、あずき色で装飾のついたレトロなピアノです。輸送料金もOさんの口利きで大変安くしていただきました。本当にありがたいことです。これからコンサートの仕上げの練習に中高生が自由に使ってくれたらと考えています。利用者さんが増えたら、みんなで合唱練習とかできれば最高ですね。
また8月4日には夜7時からカントリーやブルースの五十一(いそいち)ミニコンサートを開きます。絵画だけでなく音楽の領域も含めて幅広く楽しめるカフェになれればいいですね。(S.S)
ISOICHI(五十一)コンサート
日時 8月4日(金) 19時~
場所 カフェアンジェラ、岩内町万代12番地11
国道229号線沿い、村本テント店から寿都方面3軒目
ノンアルコールワンドリンクおつまみ付き 2500円
問い合わせ 枝元治療院090-1649-2650
また先週には、共和町小沢のT旅館から、ワインバーグという韓国の有名なメーカーのピアノを寄贈していただきました。

調律師のOさんが私の話を聞いて、お店に来てくれて、その雰囲気にあうピアノをフェイスブックで呼びかけて探してくださったのです。今は製造していない型で、あずき色で装飾のついたレトロなピアノです。輸送料金もOさんの口利きで大変安くしていただきました。本当にありがたいことです。これからコンサートの仕上げの練習に中高生が自由に使ってくれたらと考えています。利用者さんが増えたら、みんなで合唱練習とかできれば最高ですね。
また8月4日には夜7時からカントリーやブルースの五十一(いそいち)ミニコンサートを開きます。絵画だけでなく音楽の領域も含めて幅広く楽しめるカフェになれればいいですね。(S.S)
ISOICHI(五十一)コンサート
日時 8月4日(金) 19時~
場所 カフェアンジェラ、岩内町万代12番地11
国道229号線沿い、村本テント店から寿都方面3軒目
ノンアルコールワンドリンクおつまみ付き 2500円
問い合わせ 枝元治療院090-1649-2650
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