どんざ丸
北海道岩内町・木田金次郎美術館のスタッフブログです。
Volunteer Diary
27,1,29
ふるさとこども展の展示作業を手伝う。杉山さん、浜上さん、坂口先生、私に職員。午前中で大まかな所を終える。午後からキャプションをそろえる手直しをした。4時終了。(S・S)
27,2,1
今朝は、玄関を出たら暴風雪で視界不良。お昼ご飯を買うためにコンビニに寄ると、その間の視界が良くなりホッとした。冬の天気は変わりやすく、命がけですね。ボランティア記念誌完成したんですね。私が描いた絵もちゃんと入っていて、安心しました。記念誌の作成に関わった方々、大変お疲れ様でした。(Y・I)
新聞の切り抜きをしていたら受付から呼ばれた。香港出身の女の方二人、ニセコに1週間滞在しているとのこと。ふるさとこども展を見て Great ! と連発していた。あちらは1教室45人~55人ほどでアートの授業もとても短いとのことでした。(S・S)
27,2,6
ふるさとこども展で「ポプラの会会長賞」を受賞した清川君(中1)の《雪の中央小学校》は構図、色彩のバランスが素晴らしい。今は学校としては利用されていない校舎ですが、通学していたころの思いもあってか、とても繊細にまとめあげられていました。(S・Mi)
27,2,11
ボランティアの記念誌、1月22日午前に届いた。夜の新年会の席で、協力いただいた方々と職員の皆様にお配りした。1月末までに関係者と道立美術館5館等ほとんど送ることができました。(S・K)
27,2,21
ポプラの会の記事が道新後志版に大きく出た。13日に取材を受けたもの。記念誌のこと、日常の活動のこと、また冬期休館問題で全町に展開した署名活動のも触れてある。館長からは「なくてはならない存在」との言葉もいただいた。悩みは恒常的なメンバー不足が活動の手かせ足かせになっていると、全体を締めくくっている。(O・Y)
ふるさとこども展の展示作業を手伝う。杉山さん、浜上さん、坂口先生、私に職員。午前中で大まかな所を終える。午後からキャプションをそろえる手直しをした。4時終了。(S・S)
27,2,1
今朝は、玄関を出たら暴風雪で視界不良。お昼ご飯を買うためにコンビニに寄ると、その間の視界が良くなりホッとした。冬の天気は変わりやすく、命がけですね。ボランティア記念誌完成したんですね。私が描いた絵もちゃんと入っていて、安心しました。記念誌の作成に関わった方々、大変お疲れ様でした。(Y・I)
新聞の切り抜きをしていたら受付から呼ばれた。香港出身の女の方二人、ニセコに1週間滞在しているとのこと。ふるさとこども展を見て Great ! と連発していた。あちらは1教室45人~55人ほどでアートの授業もとても短いとのことでした。(S・S)
27,2,6
ふるさとこども展で「ポプラの会会長賞」を受賞した清川君(中1)の《雪の中央小学校》は構図、色彩のバランスが素晴らしい。今は学校としては利用されていない校舎ですが、通学していたころの思いもあってか、とても繊細にまとめあげられていました。(S・Mi)
27,2,11
ボランティアの記念誌、1月22日午前に届いた。夜の新年会の席で、協力いただいた方々と職員の皆様にお配りした。1月末までに関係者と道立美術館5館等ほとんど送ることができました。(S・K)
27,2,21
ポプラの会の記事が道新後志版に大きく出た。13日に取材を受けたもの。記念誌のこと、日常の活動のこと、また冬期休館問題で全町に展開した署名活動のも触れてある。館長からは「なくてはならない存在」との言葉もいただいた。悩みは恒常的なメンバー不足が活動の手かせ足かせになっていると、全体を締めくくっている。(O・Y)
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全修寺の華麗な『安珍清姫屏風』
全修寺にお宝があるという噂を聞いて、足を運んだ。

函館の高龍寺から1857年に分寺し、1859年に建てられた。
現在の建物で最も古い物は、本堂で1895年(明治28年)美唄の宮大工斉藤氏が建てたということだった。本堂の玄関の彫刻がシンプルでいて力強い。

今回は7代目住職の泉宏勝氏に案内して頂いた。
部屋に通されてご対面した屏風は、高さ1間幅2間の6連続き(6曲1隻)の物だった。
一度表装を手直ししているので、裏に直しの跡があった。けれども絵はすっごく美しい。
清姫の出自から、僧との出会い、僧に拒否され龍へと徐々に変化(へんげ)してゆく清姫の姿、寺に逃げ込んで鐘の中に隠れるも鐘もろとも龍に焼かれて、極楽に行った僧の話を実に巧みに描いている。
人物には極彩色を使い、スピード感のある場面転換。
背景は抑えた色合いで、浮世絵の下絵を彷彿とさせる。そして、見る者を驚かせるほどの眼光鋭い龍が、とてつもなく素晴らしい!!

現代作家の描く龍は弱々しいが、この龍は本物だ。
泉宏勝氏が子どもの頃、この屏風絵を見て怖くてたまらなかったという話もうなずける。

この屏風は、佐渡生まれで岩内で鰊場親方をしていた本間玄契(1848~1924年)が 、若い頃全修寺で修行をしていて、その縁で寄贈した物だ。本間家財産目録に載っていて、全修寺に寄贈の添え書きも残っている。作者や制作年は全く不明。
江戸時代から明治時代前期にかけて北前船の航路の各地の豪商や網元に、流浪の絵師や彫り師、宮大工らが逗留して芸術作品を制作していたという。
彼らが残していった物が、鰊場でうなるほどお金が集まっていた岩内に持ち込まれたのだろうか。
全体から細部まで、集中力が途切れることなく描かれた絵に、芸一筋で生きることの気迫を感じさせられた。(S・S)

函館の高龍寺から1857年に分寺し、1859年に建てられた。
現在の建物で最も古い物は、本堂で1895年(明治28年)美唄の宮大工斉藤氏が建てたということだった。本堂の玄関の彫刻がシンプルでいて力強い。

今回は7代目住職の泉宏勝氏に案内して頂いた。
部屋に通されてご対面した屏風は、高さ1間幅2間の6連続き(6曲1隻)の物だった。
一度表装を手直ししているので、裏に直しの跡があった。けれども絵はすっごく美しい。
清姫の出自から、僧との出会い、僧に拒否され龍へと徐々に変化(へんげ)してゆく清姫の姿、寺に逃げ込んで鐘の中に隠れるも鐘もろとも龍に焼かれて、極楽に行った僧の話を実に巧みに描いている。
人物には極彩色を使い、スピード感のある場面転換。
背景は抑えた色合いで、浮世絵の下絵を彷彿とさせる。そして、見る者を驚かせるほどの眼光鋭い龍が、とてつもなく素晴らしい!!

現代作家の描く龍は弱々しいが、この龍は本物だ。
泉宏勝氏が子どもの頃、この屏風絵を見て怖くてたまらなかったという話もうなずける。

この屏風は、佐渡生まれで岩内で鰊場親方をしていた本間玄契(1848~1924年)が 、若い頃全修寺で修行をしていて、その縁で寄贈した物だ。本間家財産目録に載っていて、全修寺に寄贈の添え書きも残っている。作者や制作年は全く不明。
江戸時代から明治時代前期にかけて北前船の航路の各地の豪商や網元に、流浪の絵師や彫り師、宮大工らが逗留して芸術作品を制作していたという。
彼らが残していった物が、鰊場でうなるほどお金が集まっていた岩内に持ち込まれたのだろうか。
全体から細部まで、集中力が途切れることなく描かれた絵に、芸一筋で生きることの気迫を感じさせられた。(S・S)
木田金次郎の本棚(32) 『みづゑ』1959年6月号 針生一郎展覧会評
ロビーで延長開催中の、きだび図書館2014「木田金次郎の本棚」。
前の記事、「針生一郎さんのこと」に関連した一冊。

『みづゑ』649号(1959年6月号)
『みづゑ』は、現在は休刊してしまいましたが、
日本を代表する美術雑誌として、
1905年に創刊された、伝統ある雑誌です。
ここに、当時34歳、気鋭の美術評論家として活躍していた
針生一郎さんが、日本橋高島屋で開催されていた
「木田金次郎作品展」の評を執筆したのです。

針生一郎評 「木田金次郎作品展」
木田にとって、初めての東京での大規模個展。
針生さんは、この展覧会を
「美術界に自己検討のテーマをあたえるような事件だった」
と評しています。
『生れ出づる悩み』のフィルターを通さずに、
近作を見つめる針生さん。
「まぎれもなく一貫した姿勢のうちに、
観照のおどろくほど深まりを示しているのをみる」
「様式というものが、作家の真の生命といかに無縁であるかを、
かれの仕事ほど雄弁に語っているものはない」
針生さんが全国に向けて、「事件」と言った意味をかみしめると、
いまなお、木田金次郎の画業が多くの人を惹きつけている事実が
はっきりと浮かび上がってきます。
ぜひ、多くの方に触れていただきたい批評です。
(学芸員 岡部 卓)
***************************
みづゑ 649号 針生一郎展覧会評
美術出版社
1959年6月発行
この本は、4月中旬まで延長開催中の、
「きだび図書館2014」でご覧いただけます
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前の記事、「針生一郎さんのこと」に関連した一冊。

『みづゑ』649号(1959年6月号)
『みづゑ』は、現在は休刊してしまいましたが、
日本を代表する美術雑誌として、
1905年に創刊された、伝統ある雑誌です。
ここに、当時34歳、気鋭の美術評論家として活躍していた
針生一郎さんが、日本橋高島屋で開催されていた
「木田金次郎作品展」の評を執筆したのです。

針生一郎評 「木田金次郎作品展」
木田にとって、初めての東京での大規模個展。
針生さんは、この展覧会を
「美術界に自己検討のテーマをあたえるような事件だった」
と評しています。
『生れ出づる悩み』のフィルターを通さずに、
近作を見つめる針生さん。
「まぎれもなく一貫した姿勢のうちに、
観照のおどろくほど深まりを示しているのをみる」
「様式というものが、作家の真の生命といかに無縁であるかを、
かれの仕事ほど雄弁に語っているものはない」
針生さんが全国に向けて、「事件」と言った意味をかみしめると、
いまなお、木田金次郎の画業が多くの人を惹きつけている事実が
はっきりと浮かび上がってきます。
ぜひ、多くの方に触れていただきたい批評です。
(学芸員 岡部 卓)
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みづゑ 649号 針生一郎展覧会評
美術出版社
1959年6月発行
この本は、4月中旬まで延長開催中の、
「きだび図書館2014」でご覧いただけます
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針生一郎さんのこと
2月19日(木)の『北海道新聞』文化面に、
宮城県美術館「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」の記事が掲載されていました。

『北海道新聞』文化面(2015年2月19日夕刊)と『みづゑ』649号(1959年6月)
私(学芸員)も本気で仙台に観に行こうと思っていた展覧会。
ここは取り寄せた図録で我慢。
美術評論家・針生一郎さん(1925-2010)は、
2002年5月に木田金次郎美術館で講演して下さいました。
「木田金次郎の生涯と芸術」。
実は、針生さんから講演のお申し出があって実現したのですが、
帝銀事件の平沢貞通が登場したりで、とても刺激的なお話しでした。

針生一郎講演会「木田金次郎の生涯と芸術」
2002年5月18日 木田金次郎美術館

この講演会には、岩内町内外から100人が聴講。
会場は熱気を帯びていました。
そもそも針生さんは、
木田金次郎が初めて東京で開催した大規模個展
(1959年4月7日~13日・日本橋高島屋)の批評を、
美術雑誌『みづゑ』(美術出版社)に執筆されたことから、
ご縁がはじまっています。

『みづゑ』649号(1959年6月)
針生一郎による「木田金次郎作品展」評
『みづゑ』で針生さんは、
「…木田金次郎作品展は、美術界に自己検討のテーマを与えるような事件だった」と記し、
北海道岩内で描いている画家の存在を、世に広げました。
そればかりではなく、
『芸術新潮』1959年6月号にも展覧会評を執筆していることを、
2008年に当館で講演いただいた、
正木基さん(当時目黒区美術館学芸員)から
ご教示いただきましたが、
当時を代表する美術雑誌2誌で紹介したという、
針生さんの木田に対する想いがうかがえます。
針生さんとのご縁は、これにとどまりませんでした。
講演から2年後の2004年、
当館会報『群暉(くき)』40号(2004年秋)に、
「木田金次郎と橋浦泰雄―2002年5月講演の補遺―」をご寄稿。
当館の大きなテーマ「木田金次郎の交流圏」にかかわる
橋浦泰雄(1899-1979)への関心から、
「生活のたたかいを決して中断せず、そこから芸術に向かう原点を保持した」木田と橋浦を、
有島武郎の「相互扶助」思想を発展させた人物として評価しています。

木田金次郎美術館ニュース『群暉(くき)』Vol.40(2004年秋)
針生一郎「木田金次郎と橋浦泰雄―2002年5月講演の補遺―」
当館はテーマを深め、2006年に「橋浦泰雄―旅への導き」展を開催。
この展示を観に、針生さんが駆けつけて下さいました。
岩内を訪れた翌日には、
橋浦泰雄が民俗学研究を行うきっかけとなった、
青森県・下北半島の尻屋村を訪問するなど、
大病をされながらも、精力的に活動されていました。

「橋浦泰雄―旅への導き」展を観る針生一郎さん。
2007年7月31日 木田金次郎美術館
宮城県美術館の展覧会には、木田金次郎のことは紹介されていないのですが、
図録に、1959年の木田の個展評の記録が掲載されていました。

宮城県美術館 「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」図録
戦後の日本美術とともに歩んだ針生さん。
展覧会には、膨大な作品と資料が展示されているようですね。
今日の記事と、図録で、針生さんの業績をじっくりと偲ぼうと思います。

針生一郎と木田金次郎。
1962年4月、東京・日本橋高島屋「木田金次郎新作展」会場。
2度目の東京個展で、久しぶりの再会を喜び合っているよう。

講演で初めて岩内を訪れた日、雷電海岸にて。
左から木田敏斌さん(木田金次郎次男)、青塚誠爾さん(当館名誉館長)、針生一郎さん
2002年5月18日
(学芸員 岡部 卓)
***************************
わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術
1月31日(土)~3月22日(日)
宮城県美術館
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宮城県美術館「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」の記事が掲載されていました。

『北海道新聞』文化面(2015年2月19日夕刊)と『みづゑ』649号(1959年6月)
私(学芸員)も本気で仙台に観に行こうと思っていた展覧会。
ここは取り寄せた図録で我慢。
美術評論家・針生一郎さん(1925-2010)は、
2002年5月に木田金次郎美術館で講演して下さいました。
「木田金次郎の生涯と芸術」。
実は、針生さんから講演のお申し出があって実現したのですが、
帝銀事件の平沢貞通が登場したりで、とても刺激的なお話しでした。

針生一郎講演会「木田金次郎の生涯と芸術」
2002年5月18日 木田金次郎美術館

この講演会には、岩内町内外から100人が聴講。
会場は熱気を帯びていました。
そもそも針生さんは、
木田金次郎が初めて東京で開催した大規模個展
(1959年4月7日~13日・日本橋高島屋)の批評を、
美術雑誌『みづゑ』(美術出版社)に執筆されたことから、
ご縁がはじまっています。

『みづゑ』649号(1959年6月)
針生一郎による「木田金次郎作品展」評
『みづゑ』で針生さんは、
「…木田金次郎作品展は、美術界に自己検討のテーマを与えるような事件だった」と記し、
北海道岩内で描いている画家の存在を、世に広げました。
そればかりではなく、
『芸術新潮』1959年6月号にも展覧会評を執筆していることを、
2008年に当館で講演いただいた、
正木基さん(当時目黒区美術館学芸員)から
ご教示いただきましたが、
当時を代表する美術雑誌2誌で紹介したという、
針生さんの木田に対する想いがうかがえます。
針生さんとのご縁は、これにとどまりませんでした。
講演から2年後の2004年、
当館会報『群暉(くき)』40号(2004年秋)に、
「木田金次郎と橋浦泰雄―2002年5月講演の補遺―」をご寄稿。
当館の大きなテーマ「木田金次郎の交流圏」にかかわる
橋浦泰雄(1899-1979)への関心から、
「生活のたたかいを決して中断せず、そこから芸術に向かう原点を保持した」木田と橋浦を、
有島武郎の「相互扶助」思想を発展させた人物として評価しています。

木田金次郎美術館ニュース『群暉(くき)』Vol.40(2004年秋)
針生一郎「木田金次郎と橋浦泰雄―2002年5月講演の補遺―」
当館はテーマを深め、2006年に「橋浦泰雄―旅への導き」展を開催。
この展示を観に、針生さんが駆けつけて下さいました。
岩内を訪れた翌日には、
橋浦泰雄が民俗学研究を行うきっかけとなった、
青森県・下北半島の尻屋村を訪問するなど、
大病をされながらも、精力的に活動されていました。

「橋浦泰雄―旅への導き」展を観る針生一郎さん。
2007年7月31日 木田金次郎美術館
宮城県美術館の展覧会には、木田金次郎のことは紹介されていないのですが、
図録に、1959年の木田の個展評の記録が掲載されていました。

宮城県美術館 「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」図録
戦後の日本美術とともに歩んだ針生さん。
展覧会には、膨大な作品と資料が展示されているようですね。
今日の記事と、図録で、針生さんの業績をじっくりと偲ぼうと思います。

針生一郎と木田金次郎。
1962年4月、東京・日本橋高島屋「木田金次郎新作展」会場。
2度目の東京個展で、久しぶりの再会を喜び合っているよう。

講演で初めて岩内を訪れた日、雷電海岸にて。
左から木田敏斌さん(木田金次郎次男)、青塚誠爾さん(当館名誉館長)、針生一郎さん
2002年5月18日
(学芸員 岡部 卓)
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わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術
1月31日(土)~3月22日(日)
宮城県美術館
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木田金次郎美術館新年会
木田金次郎美術館関係者の新年会が1月22日(木)午後6時30分から『グリーンパークいわない』で30名の参加を得て開催されました。毎年ポプラの会、NPO法人役職員、美術館友の会など、毎度お馴染みの方々の参加ですが、本年は初見参者が3名いらっしゃいました。

荒井記念美術館学芸員の佐藤瑞起さんとポプラの会の川村かほるさん・佐藤聖子さんの3名です。
佐藤瑞起さんは、中学2年、3年と連続で「めざせ! 木田金次郎 ふるさとこども美術展」で入選されており、岩内高校に進学されても伝統ある岩高美術部に入部し、活躍された経歴をお持ちです。
木田美術館が毎年実施している「ふるさとこども美術展」が地域の美術振興に寄与している証であると大いに胸を張っているところです。これからも頑張らねばと決意を新たにしているところです。
ポプラの会の新星、川村かほるさんは一昨年からポプラの会に参加しておりましたが、昨年は高校2年生であり、又生真面目な性格から酒席には同席できないと、新年会は欠席でした。
今年は大学進学も決まり、受験勉強から解放されたこともあり、お母さん同伴で参加してくれました。
お話を聞くと、大学入学と同時にイギリスに留学する事になっているとのことで、今後留学先での経験を聴かせてくれるのではと、大いに期待しているところです。
佐藤聖子さんは、昨年5月にポプラの会に入会されました。佐藤聖子(さとうさとことお読みするそうです)さんは、岩内の各中学校で美術の指導をされておられました。こうした経歴をお持ちの方は、ポプラの会では初めてでありますので、美術館の振興発展に大いに提言してもらいたいと思っております。
本日の新年会での交流が、有意義なものになると期待をする次第です。
新年会は恒例の木田美方式のビンゴゲームに盛り上がりました。
景品獲得の為に、全神経を耳に集中するとともに、番号くじは良くかき混ぜて、自分の有利な番号札をねらうのですが、ポプラの会員9名参加でしたが、ビンゴの声が聴かれず、やっと大森さんからビンゴの声が出たのは、6~7番目だったでしょうか。私はそれから2~3番後にビンゴとなりましたが、振興協会の岡部さんは、なかなかカードに穴が開かずに大いに同情をしておりましたが、全員もれなく「太田製麺の鍋焼きうどん」や「ベーカリーサンライズのイギリスパン」、「いわない楽座のタラ丸焼き交換券」などが当たりました。

宴の最後の締めは、ポプラの会の大森元会長でした。ポプラの会20年史の裏話など元会長の面目躍如たる締めのご挨拶でした。(M・N)

荒井記念美術館学芸員の佐藤瑞起さんとポプラの会の川村かほるさん・佐藤聖子さんの3名です。
佐藤瑞起さんは、中学2年、3年と連続で「めざせ! 木田金次郎 ふるさとこども美術展」で入選されており、岩内高校に進学されても伝統ある岩高美術部に入部し、活躍された経歴をお持ちです。
木田美術館が毎年実施している「ふるさとこども美術展」が地域の美術振興に寄与している証であると大いに胸を張っているところです。これからも頑張らねばと決意を新たにしているところです。
ポプラの会の新星、川村かほるさんは一昨年からポプラの会に参加しておりましたが、昨年は高校2年生であり、又生真面目な性格から酒席には同席できないと、新年会は欠席でした。
今年は大学進学も決まり、受験勉強から解放されたこともあり、お母さん同伴で参加してくれました。
お話を聞くと、大学入学と同時にイギリスに留学する事になっているとのことで、今後留学先での経験を聴かせてくれるのではと、大いに期待しているところです。
佐藤聖子さんは、昨年5月にポプラの会に入会されました。佐藤聖子(さとうさとことお読みするそうです)さんは、岩内の各中学校で美術の指導をされておられました。こうした経歴をお持ちの方は、ポプラの会では初めてでありますので、美術館の振興発展に大いに提言してもらいたいと思っております。
本日の新年会での交流が、有意義なものになると期待をする次第です。
新年会は恒例の木田美方式のビンゴゲームに盛り上がりました。
景品獲得の為に、全神経を耳に集中するとともに、番号くじは良くかき混ぜて、自分の有利な番号札をねらうのですが、ポプラの会員9名参加でしたが、ビンゴの声が聴かれず、やっと大森さんからビンゴの声が出たのは、6~7番目だったでしょうか。私はそれから2~3番後にビンゴとなりましたが、振興協会の岡部さんは、なかなかカードに穴が開かずに大いに同情をしておりましたが、全員もれなく「太田製麺の鍋焼きうどん」や「ベーカリーサンライズのイギリスパン」、「いわない楽座のタラ丸焼き交換券」などが当たりました。

宴の最後の締めは、ポプラの会の大森元会長でした。ポプラの会20年史の裏話など元会長の面目躍如たる締めのご挨拶でした。(M・N)
来年も頑張りたい!!ふるさとこども美術展団体賞に輝く-岩内東小学校 喜びの声-
12日、雪降りしきる中、岩内東小学校にお邪魔した。

ここ数年なかった地元小学校団体賞の快挙を支えた子供たちの話を聞くためだ。2年生3名がそれぞれ作品に対する思いを話してくれた。3点について聞く。
順に
・入賞入選の感想
・特に力を入れたところ
・お母さんも喜んでくれた
の3項目である。
阿部誠司君 2年 金賞 「かめ吉」

・金賞でびっくりした。
・色を付けたり、大きさを表すのが難しかった。
・来年も頑張ってね。
小田晴翔君 2年 入選 「かめ吉」

・まさか入選なんて思わなかった。自分では下手だなと思っていたからなおとてもうれしかった。
・かめの甲羅。大きさが見当つかなかった。水の色も難しくそれに時間もなかった。
・あの絵がとびっくりしていた。
池田蓉香さん 2年 入選 「かめ吉」

・自分では入選できないと思っていた。まだまだだと思っていた。
・色を作って描くところ。
・1年の時「とうもろこし」で入賞した。また来年も賞をとれるように頑張れ。

みんないい笑顔
ところでこの「かめ吉」。支援学級で結構以前から水槽で飼育されていたというから東小のヌシ的存在か?! 身長15cmぐらいか、貫録十分だ。

このかめ君、いや、かめちゃんが(実は女性)モデルとして脚光を浴びることになったわけ。見たり触ったり観察しあの作品ができたのだ。担当の先生は、かめは動くし甲羅の色の表現も大変だろうと思っていたようだ。

学校としては学年に応じて画題は設定している。
低学年は静物など、中学年は風景、乗り物(近距離のもの)など、高学年は風景(遠近感のあるもの)などさらに完成までに要点指導をする。大きく描くこと、遠近法に気をつけること。低学年の子には色作りで水の混ぜ方、色の混ぜ方など。練習用の作品も描かせる。上手にできた絵の写真を撮りそれになぞらせたりもする。
ちょうど風邪の流行で臨休直前のあわただしい中、取材に協力いただきました。ありがとうございました。このきめ細かな指導で来年も連続栄誉に輝くように期待しています。
(O・Y)

ここ数年なかった地元小学校団体賞の快挙を支えた子供たちの話を聞くためだ。2年生3名がそれぞれ作品に対する思いを話してくれた。3点について聞く。
順に
・入賞入選の感想
・特に力を入れたところ
・お母さんも喜んでくれた
の3項目である。
阿部誠司君 2年 金賞 「かめ吉」

・金賞でびっくりした。
・色を付けたり、大きさを表すのが難しかった。
・来年も頑張ってね。
小田晴翔君 2年 入選 「かめ吉」

・まさか入選なんて思わなかった。自分では下手だなと思っていたからなおとてもうれしかった。
・かめの甲羅。大きさが見当つかなかった。水の色も難しくそれに時間もなかった。
・あの絵がとびっくりしていた。
池田蓉香さん 2年 入選 「かめ吉」

・自分では入選できないと思っていた。まだまだだと思っていた。
・色を作って描くところ。
・1年の時「とうもろこし」で入賞した。また来年も賞をとれるように頑張れ。

みんないい笑顔

ところでこの「かめ吉」。支援学級で結構以前から水槽で飼育されていたというから東小のヌシ的存在か?! 身長15cmぐらいか、貫録十分だ。

このかめ君、いや、かめちゃんが(実は女性)モデルとして脚光を浴びることになったわけ。見たり触ったり観察しあの作品ができたのだ。担当の先生は、かめは動くし甲羅の色の表現も大変だろうと思っていたようだ。

学校としては学年に応じて画題は設定している。
低学年は静物など、中学年は風景、乗り物(近距離のもの)など、高学年は風景(遠近感のあるもの)などさらに完成までに要点指導をする。大きく描くこと、遠近法に気をつけること。低学年の子には色作りで水の混ぜ方、色の混ぜ方など。練習用の作品も描かせる。上手にできた絵の写真を撮りそれになぞらせたりもする。
ちょうど風邪の流行で臨休直前のあわただしい中、取材に協力いただきました。ありがとうございました。このきめ細かな指導で来年も連続栄誉に輝くように期待しています。
(O・Y)
ふるさとこども美術展 ボランティア『ポプラの会会長賞』
1月31日ふるさとこども美術展表彰式が行われました。
木田金次郎美術館開館20周年、ボランティアポプラの会も共に20周年を迎えました。
ポプラの会では、5年ごとに、こども展受賞者おひとりに賞を、または学校に団体賞を差し上げてきました。
今年は、昨年廃校になりました母校を描いた
岩内町立岩内第一中学校1年
清川祥太君の作品「雪の中央小学校」に決まりました。
雪景色の美しい作品です。

おめでとうございました。(S・K)
























以下は表彰式前の取材です。
31日(土)、10時過ぎの第4展示室は人、人・・・。
緊張気味の子供たちが居心地悪そうにかしこまっている。
親だろうか、まず我が子の絵を見つけ出す。それからまわりの絵をゆっくり眺める。この晴れがましい空気、褒められるってその子をこんなに明るくし自信を持たせるんだ。4名だけ取材できた。

・清川 祥太君 岩内一中1年 『雪の中央小学校』ポプラの会会長賞
校舎のガラスの細かい部分が大変だった。

・太田 愛翔さん 銀山小6年 『おいしく出来た!』佳作
入賞なんて思ってもいなかった。とてもうれしい。自分で料理している絵を描いた。

・柏民 想来君 蘭越小3年 『トラクター』金賞
うれしい。下の機械の部分が難しかった。

・松田 朋佳さん 岩内二中2年 『美術室のうしろの風景』入選
過去1回入賞している。今日で2回目となってとてもうれしい。色を付けるのが難しかった。
(O・Y)
木田金次郎美術館開館20周年、ボランティアポプラの会も共に20周年を迎えました。
ポプラの会では、5年ごとに、こども展受賞者おひとりに賞を、または学校に団体賞を差し上げてきました。
今年は、昨年廃校になりました母校を描いた
岩内町立岩内第一中学校1年
清川祥太君の作品「雪の中央小学校」に決まりました。
雪景色の美しい作品です。

おめでとうございました。(S・K)
























以下は表彰式前の取材です。
31日(土)、10時過ぎの第4展示室は人、人・・・。
緊張気味の子供たちが居心地悪そうにかしこまっている。
親だろうか、まず我が子の絵を見つけ出す。それからまわりの絵をゆっくり眺める。この晴れがましい空気、褒められるってその子をこんなに明るくし自信を持たせるんだ。4名だけ取材できた。

・清川 祥太君 岩内一中1年 『雪の中央小学校』ポプラの会会長賞
校舎のガラスの細かい部分が大変だった。

・太田 愛翔さん 銀山小6年 『おいしく出来た!』佳作
入賞なんて思ってもいなかった。とてもうれしい。自分で料理している絵を描いた。

・柏民 想来君 蘭越小3年 『トラクター』金賞
うれしい。下の機械の部分が難しかった。

・松田 朋佳さん 岩内二中2年 『美術室のうしろの風景』入選
過去1回入賞している。今日で2回目となってとてもうれしい。色を付けるのが難しかった。
(O・Y)
冬のナイトオープン
2月14日(土)は恋人たちの愛の誓いの日…バレンタインデー
この日、木田美術館では『ナイトオープン』を開催します

ラブラブな恋人たちやご夫婦、仲の良いお友達同士やお仕事仲間、ちょびっとさびしいお一人様も美術館にいらっしゃいませんか?
『木田金次郎 アトリエからの再発見』展の解説を聞いたあとはお楽しみの『ナイトラウンジ』。
冷た~いビール
とおいしい料理が待っています
みなさんお誘いあわせの上是非ご来館ください。
(定員になり次第締切らせていただきますのでご了承くださいませ。)(T・M)


≪写真は昨年の様子≫
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冬のナイトオープン
2015年2月14日(土)
18:30~ 展示解説
19:00~ ナイトラウンジオープン
参加費 1,000円 ≪前売券発売中≫
**********************

この日、木田美術館では『ナイトオープン』を開催します


ラブラブな恋人たちやご夫婦、仲の良いお友達同士やお仕事仲間、ちょびっとさびしいお一人様も美術館にいらっしゃいませんか?
『木田金次郎 アトリエからの再発見』展の解説を聞いたあとはお楽しみの『ナイトラウンジ』。
冷た~いビール


みなさんお誘いあわせの上是非ご来館ください。
(定員になり次第締切らせていただきますのでご了承くださいませ。)(T・M)


≪写真は昨年の様子≫
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冬のナイトオープン
2015年2月14日(土)
18:30~ 展示解説
19:00~ ナイトラウンジオープン
参加費 1,000円 ≪前売券発売中≫
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たら丸雪像コンテスト!
昨日、道の駅いわないで開かれた「たら丸雪像コンテスト」に参加しました
岩内町のキャラクター「たら丸」が誕生して今年で30周年を記念してのイベントだそうです
昨日は、雪像を作るための雪山が余っているらしく、急きょ美術館チームで参戦
朝から作っているチームもいて、昼過ぎにはもう完成しているチームもありました
みなさん完成度が高いです!
昼過ぎからぼちぼち作り始めます。

ああでもないこうでもない。

なんとか完成

「たら丸雪像コンテスト」は、7日~10日で雪像を作り、11日に審査、表彰式だそうです。
上手なチームばかりなので、審査は難航しそうです(笑)
美術館チームの結果をお楽しみに!
しかし本日、予報通り朝から雨…
雨にもかかわらず、今日もたら丸を作っているチームが!お疲れ様です!

先程様子を見に行ってみたら、案の定少しとけていました

審査の日までに手直ししなければ…。
(G・I)

岩内町のキャラクター「たら丸」が誕生して今年で30周年を記念してのイベントだそうです

昨日は、雪像を作るための雪山が余っているらしく、急きょ美術館チームで参戦

朝から作っているチームもいて、昼過ぎにはもう完成しているチームもありました

みなさん完成度が高いです!
昼過ぎからぼちぼち作り始めます。

ああでもないこうでもない。

なんとか完成


「たら丸雪像コンテスト」は、7日~10日で雪像を作り、11日に審査、表彰式だそうです。
上手なチームばかりなので、審査は難航しそうです(笑)
美術館チームの結果をお楽しみに!
しかし本日、予報通り朝から雨…

雨にもかかわらず、今日もたら丸を作っているチームが!お疲れ様です!

先程様子を見に行ってみたら、案の定少しとけていました


審査の日までに手直ししなければ…。
(G・I)
第20回ふるさとこども展はじまりました
1月31日(土)から、
第20回ふるさとこども美術展がはじまりました。
美術館の歩みと同じく今回で20回目の節目のこども展です。
今年は後志管内(小樽市を除く)の小中学校・個人から1810点の応募がありました。過去二番目の多さです!

審査は、岩内美術協会の方・北海道新聞岩内支局長・館長の他、今年は3名の方が新しく審査に加わり、9名で行いました。

床一面に作品を並べ、一点一点見ていきます。

最後は、審査員全員で多数決・話合いをして、賞を決めていきます。今年も熱い審査となりました!
今年の木田金次郎賞は、なんとなんと、こども展始まって以来二度目の受賞となったグライナーオリビア咲さん に決定!

そして展示作業です。

ボランティアの方にもお手伝いしてもらい、高い脚立も使い、展示される388枚をどんどん貼っていきます。貼る枚数が多いので、画鋲を刺す親指がだんだん痛くなります。なかなか大変な作業ですが、毎年の恒例行事です。
展示作業が終わったら、次は表彰式の準備です。

椅子を用意して、盾を並べて、マイクを用意して、受賞者の皆さんを迎える準備をします。
表彰式は、1月31日(土)10時半から行われました。

受賞者41名・団体賞3校の代表者の他、親や兄弟、学校の先生など、多くの方に参加いただきました。

また、今年は美術館で大切に保管している、歴代の「木田金次郎賞」受賞者作品もロビーに展示しています。一同に並べてみると、どれも個性的でどれも上手です!

子どもたちが描いた作品を是非ご覧ください!(G・I)
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第20回 ふるさとこども美術展
2015年1月31日(土)~2月22日(日)
展示室4 観覧無料
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第20回ふるさとこども美術展がはじまりました。
美術館の歩みと同じく今回で20回目の節目のこども展です。
今年は後志管内(小樽市を除く)の小中学校・個人から1810点の応募がありました。過去二番目の多さです!

審査は、岩内美術協会の方・北海道新聞岩内支局長・館長の他、今年は3名の方が新しく審査に加わり、9名で行いました。

床一面に作品を並べ、一点一点見ていきます。

最後は、審査員全員で多数決・話合いをして、賞を決めていきます。今年も熱い審査となりました!
今年の木田金次郎賞は、なんとなんと、こども展始まって以来二度目の受賞となったグライナーオリビア咲さん に決定!

そして展示作業です。

ボランティアの方にもお手伝いしてもらい、高い脚立も使い、展示される388枚をどんどん貼っていきます。貼る枚数が多いので、画鋲を刺す親指がだんだん痛くなります。なかなか大変な作業ですが、毎年の恒例行事です。
展示作業が終わったら、次は表彰式の準備です。

椅子を用意して、盾を並べて、マイクを用意して、受賞者の皆さんを迎える準備をします。
表彰式は、1月31日(土)10時半から行われました。

受賞者41名・団体賞3校の代表者の他、親や兄弟、学校の先生など、多くの方に参加いただきました。

また、今年は美術館で大切に保管している、歴代の「木田金次郎賞」受賞者作品もロビーに展示しています。一同に並べてみると、どれも個性的でどれも上手です!

子どもたちが描いた作品を是非ご覧ください!(G・I)
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第20回 ふるさとこども美術展
2015年1月31日(土)~2月22日(日)
展示室4 観覧無料
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3月に「美術教師・福田好孝展」
3月10日(火)~15日(日)、
木田金次郎美術館で「美術教師・福田好孝展」を開催いたします。

福田好孝「ぷかぷか」 2000年
福田好孝さんは、昨春岩内高校を定年退職されるまで、
15年にわたり、岩内高校で美術の指導を続けてこられました。
伝統と実績を重ねる岩内高校美術部「緑陰会」の顧問として、
多くの部員を率いてきた先生です。
地域の皆さんとの関わりも深く、
週末に開催されていた絵画教室は、
先生の退職後の現在も、美術館隣の文化センターで行われています。
このたび開催される展覧会は、
福田先生が自選された、高校生の頃の作品から近作まで、
26点が出品される予定です。
福田先生は、美術教師となった初任地が倶知安高校、
その後、函館中部高校、そして岩内高校と赴任されています。
教え子さんも多士済々。
画家や教師として活躍されている方も多くいらっしゃいます。
今回の展示では、各高校の当時の教え子さんから、
福田先生に宛てたメッセージを、作品と一緒に展示する予定です。
直木賞作家・京極夏彦さん(倶知安高校美術部出身)からのメッセージも!!
木田金次郎美術館では、
2005年に「緑陰会の指導者たち展」という展覧会で、
岩内高校美術部の歴代7人の先生の作品を展示したことがあります。

今回の展示では、
この時出品いただいた作品をはじめ
(今回写真で紹介している作品です)、
高校・大学時代から現在に至る、
福田先生の全貌がご覧いただける予定です。

福田好孝「あくび」 2001年
岩内で教わった皆さん、
倶知安、函館で教わった皆さん、
来月をぜひ、お楽しみに!!

福田好孝「化粧」 2004年
当館の年間スケジュールには記載されておりませんが、
「第15回 仲間たち展」(3月3日(火)~8日(日))の翌週です。
(学芸員 岡部 卓)
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美術教師・福田好孝展
3月10日(火)~15日(日)
木田金次郎美術館 展示室4 入場無料
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木田金次郎美術館で「美術教師・福田好孝展」を開催いたします。

福田好孝「ぷかぷか」 2000年
福田好孝さんは、昨春岩内高校を定年退職されるまで、
15年にわたり、岩内高校で美術の指導を続けてこられました。
伝統と実績を重ねる岩内高校美術部「緑陰会」の顧問として、
多くの部員を率いてきた先生です。
地域の皆さんとの関わりも深く、
週末に開催されていた絵画教室は、
先生の退職後の現在も、美術館隣の文化センターで行われています。
このたび開催される展覧会は、
福田先生が自選された、高校生の頃の作品から近作まで、
26点が出品される予定です。
福田先生は、美術教師となった初任地が倶知安高校、
その後、函館中部高校、そして岩内高校と赴任されています。
教え子さんも多士済々。
画家や教師として活躍されている方も多くいらっしゃいます。
今回の展示では、各高校の当時の教え子さんから、
福田先生に宛てたメッセージを、作品と一緒に展示する予定です。
直木賞作家・京極夏彦さん(倶知安高校美術部出身)からのメッセージも!!
木田金次郎美術館では、
2005年に「緑陰会の指導者たち展」という展覧会で、
岩内高校美術部の歴代7人の先生の作品を展示したことがあります。

今回の展示では、
この時出品いただいた作品をはじめ
(今回写真で紹介している作品です)、
高校・大学時代から現在に至る、
福田先生の全貌がご覧いただける予定です。

福田好孝「あくび」 2001年
岩内で教わった皆さん、
倶知安、函館で教わった皆さん、
来月をぜひ、お楽しみに!!

福田好孝「化粧」 2004年
当館の年間スケジュールには記載されておりませんが、
「第15回 仲間たち展」(3月3日(火)~8日(日))の翌週です。
(学芸員 岡部 卓)
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美術教師・福田好孝展
3月10日(火)~15日(日)
木田金次郎美術館 展示室4 入場無料
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