どんざ丸
北海道岩内町・木田金次郎美術館のスタッフブログです。
ミュージアムロードでイベント!
土日は、近隣の2つの美術館でイベントがあります!
まずは25日土曜日
西村計雄記念美術館では、開館記念イベントが開催されます。
午前10時からは、「かぼちゃのランタン」を作るイベント
今日の午後5時まで参加を受け付けています
作ったランタンは、同日夜のイベントで飾られます
午後6時からは、コンサート&チーズパーティー
とても楽しいイベントなので、お近くの方は是非!
西村計雄記念美術館へ
そして26日日曜日
荒井記念美術館では、ピカソの生誕を記念して、入館料が無料となります
ピカソ作品をお得に鑑賞しましょう♪
荒井記念美術館へ
この土日は、是非しりべしミュージアムロード巡りのドライブはいかがでしょう
まずは25日土曜日

西村計雄記念美術館では、開館記念イベントが開催されます。
午前10時からは、「かぼちゃのランタン」を作るイベント

今日の午後5時まで参加を受け付けています

作ったランタンは、同日夜のイベントで飾られます

午後6時からは、コンサート&チーズパーティー

とても楽しいイベントなので、お近くの方は是非!
西村計雄記念美術館へ
そして26日日曜日

荒井記念美術館では、ピカソの生誕を記念して、入館料が無料となります

ピカソ作品をお得に鑑賞しましょう♪
荒井記念美術館へ
この土日は、是非しりべしミュージアムロード巡りのドライブはいかがでしょう

新作ポストカード紹介2014-第5弾-
昭和35年7月、北大教授中谷宇吉郎と木田金次郎共著の随筆集
「北海道」が中外書房より刊行された。
その中にポストカード「ノサップ灯台」の作品背景を綴ったと思われる木田の「流氷とノサップ灯台」の文章とスケッチが収録され、次のように書かれている。(M・T)
『私がこの灯台を描きに出かけたのは三月末のことだったが、気づかった空模様も珍らしく晴れていた。
ハボマイ諸島はいうまでもなく千島の山もその左手の空にみられた。
またオホーツク海から流れつづけて、この水道を南下していく流氷原は帯のようにはてしなくつづいていた。
画をかき終るころはハボマイの島々も夕ぐれの空につつまれかかっていた。
私は岬からさらにつき出た岩の上にたった独り佇んでいた。
地のはてに立っているような寂寥におそわれながら。』

ノサップ灯台 1960年頃
「北海道」が中外書房より刊行された。
その中にポストカード「ノサップ灯台」の作品背景を綴ったと思われる木田の「流氷とノサップ灯台」の文章とスケッチが収録され、次のように書かれている。(M・T)
『私がこの灯台を描きに出かけたのは三月末のことだったが、気づかった空模様も珍らしく晴れていた。
ハボマイ諸島はいうまでもなく千島の山もその左手の空にみられた。
またオホーツク海から流れつづけて、この水道を南下していく流氷原は帯のようにはてしなくつづいていた。
画をかき終るころはハボマイの島々も夕ぐれの空につつまれかかっていた。
私は岬からさらにつき出た岩の上にたった独り佇んでいた。
地のはてに立っているような寂寥におそわれながら。』

ノサップ灯台 1960年頃
鑑賞スケッチノートから
○2014/9/2 北広島市 大曲文化協会御一行様
すばらしい情熱の絵画に触れ、木田先生の人生の歩みを知ることが出来ました。感謝。
○2014/9/3 札幌市豊平区 U・N様
今回で4回目だと思います。開館してすぐ入ったので貸切状態でとても幸せな時間でした。このあと今回特に好きだった作品をもう一度観させて頂いて帰ります。ありがとうございました。
○2014/9/3 匿名
初めて岩内に来て、きれいな海に目をうばわれました。木田さんの絵からは力強い海なのだと感じました。
○2014/9/5 神奈川県横浜市 H・K様
札幌在住の友人に誘われまいりました。「木田金次郎?知らないわー」びっくり致しました。力強い絵です。連れて来て下さった友人に感謝です。ゆっくり拝観致しました。又、来たいです。
○2014/9/6 札幌市中央区 T・T様
今年も3人で絵を見ることが出来ました。来年もこれる様に考えて居ります。大変に良かったです。
○2014/9/10 小樽市 A・N様
恥ずかしい話ですが、生まれいずる悩みのモデルとは知りませんでした。今回の収穫です。帰ってから本を読み直してみます。
○2014/9/11 岩内町 S・S様
木田さんは正式な絵の教育を受けていなくて、ほぼ独学でこれだけたくさんの色使いができて、画面に動きがあってうまく描こうというてらいがなくて、よくこれだけの絵を残せたものだなぁと感心して見てしまう。
○2014/9/14 小樽市 H・T様 H・H様
かねて念願の美術を拝見し、感動しております。
○2014/9/14 札幌市南区 A・T様
やっと木田美術館に来る事が出来、嬉しく、力強いタッチの絵に感動!!又、機会があれば来館したいです。
○2014/9/15 札幌市北区 G・T様
すばらしいの一言です。家族三人で来ました。又ゆっくり見に来ます。皆様の一言が良いですね。
○2014/9/15 札幌市南区 S・K様 S・Y様
ずっと昔、道新に長い期間木田金次郎氏の絵画が大きく連載されておりその頃よりずっと見に来たいと思っていました。今日はゆっくり見学でき、心いやされました。岩内の町の人たちは幸せですね。
すばらしい情熱の絵画に触れ、木田先生の人生の歩みを知ることが出来ました。感謝。
○2014/9/3 札幌市豊平区 U・N様
今回で4回目だと思います。開館してすぐ入ったので貸切状態でとても幸せな時間でした。このあと今回特に好きだった作品をもう一度観させて頂いて帰ります。ありがとうございました。
○2014/9/3 匿名
初めて岩内に来て、きれいな海に目をうばわれました。木田さんの絵からは力強い海なのだと感じました。
○2014/9/5 神奈川県横浜市 H・K様
札幌在住の友人に誘われまいりました。「木田金次郎?知らないわー」びっくり致しました。力強い絵です。連れて来て下さった友人に感謝です。ゆっくり拝観致しました。又、来たいです。
○2014/9/6 札幌市中央区 T・T様
今年も3人で絵を見ることが出来ました。来年もこれる様に考えて居ります。大変に良かったです。
○2014/9/10 小樽市 A・N様
恥ずかしい話ですが、生まれいずる悩みのモデルとは知りませんでした。今回の収穫です。帰ってから本を読み直してみます。
○2014/9/11 岩内町 S・S様
木田さんは正式な絵の教育を受けていなくて、ほぼ独学でこれだけたくさんの色使いができて、画面に動きがあってうまく描こうというてらいがなくて、よくこれだけの絵を残せたものだなぁと感心して見てしまう。
○2014/9/14 小樽市 H・T様 H・H様
かねて念願の美術を拝見し、感動しております。
○2014/9/14 札幌市南区 A・T様
やっと木田美術館に来る事が出来、嬉しく、力強いタッチの絵に感動!!又、機会があれば来館したいです。
○2014/9/15 札幌市北区 G・T様
すばらしいの一言です。家族三人で来ました。又ゆっくり見に来ます。皆様の一言が良いですね。
○2014/9/15 札幌市南区 S・K様 S・Y様
ずっと昔、道新に長い期間木田金次郎氏の絵画が大きく連載されておりその頃よりずっと見に来たいと思っていました。今日はゆっくり見学でき、心いやされました。岩内の町の人たちは幸せですね。
北大博物館「美術の北大展」に、木田の大作が展示中です
札幌は北海道大学構内にある、
北海道大学総合博物館で、
企画展「美術の北大展」が開催されています。

早速、北大に行ってきました。
北大総合博物館は、かつての理学部の本館です。
入場無料。

会場は3階・企画展示室。
重厚な建物で、ほかの展示も見応え十分。

この展覧会は、北大文学部の芸術学講座のみなさんが、
100年を超える北大が所蔵する、
絵画作品を調査し、その成果を公開するものです。
展示作品約50点のうち、
木田金次郎作品は、「海岸風景」(1956年)が展示されています。

木田のとなりには北大医学部出身の坪谷六郎作品が
(撮影協力:北海道大学総合博物館)
この作品は、泊村の茶津海岸を描いたもの。
北海道立近代美術館や、先日JT(日本たばこ産業)から当館に寄贈された、
「茶津の断崖」と同じモティーフです。
普段は附属図書館の会議室に飾られています。
この作品、50号の大きさ。
木田の作品の中では最大です。
当館が確認する50号の木田作品は、この作品ともう1点しかありませんので、
非常に貴重な作品といえます。
何より、普段、一般の方が観ることができない作品ですので、
札幌圏にお住まいの木田ファンの皆さん、
ぜひ、足をお運び下さい。
この「海岸風景」、10年前の、当館10周年記念特別展で、
はじめてお借りして、展示させていただいたほか、
当館が2012年度に開催した
「没後50年 木田金次郎と中谷宇吉郎展」会期中に、
バスツアーで北大を訪れた際に、
特別に附属図書館にお願いして、見せていただきました。
(その時の模様はこちら)
久しぶりに対面して、感慨もひとしおです。
木田金次郎と北海道大学とは、
有島武郎や黒百合会、
さらには、文子夫人が北大病院で看護婦をされていたことなど、
じつに様々な縁をもっています。
当館には、医学部細菌学講座から寄託されている
「中村博士像」(1950年)もあります。
「美術の北大展」には、
木田の門下生だった小野垣哲之助・坪谷六郎、
北大の近所に住んでいた岩内出身の中居定雄、
さらには木田と親しく交遊していた理学部教授の池田芳郎など、
さすが北大、という顔ぶれがズラリ。
林竹治郎、小川原脩、松島正幸といった、
北海道美術史に重要な位置を占める作家が数多く展示されています。
まだまだ新しい発見もあるかと思います。
これからの調査の進展も、楽しみです。
北大芸術学講座の皆さん、貴重な機会をありがとうございました!
(学芸員 岡部 卓)
※「美術の北大展」展覧会サイトはこちら
***************************
美術の北大展
10月4日(土)~11月30日(日)
北海道大学総合博物館 3階企画展示室
入場無料
***************************
北海道大学総合博物館で、
企画展「美術の北大展」が開催されています。

早速、北大に行ってきました。
北大総合博物館は、かつての理学部の本館です。
入場無料。

会場は3階・企画展示室。
重厚な建物で、ほかの展示も見応え十分。

この展覧会は、北大文学部の芸術学講座のみなさんが、
100年を超える北大が所蔵する、
絵画作品を調査し、その成果を公開するものです。
展示作品約50点のうち、
木田金次郎作品は、「海岸風景」(1956年)が展示されています。

木田のとなりには北大医学部出身の坪谷六郎作品が
(撮影協力:北海道大学総合博物館)
この作品は、泊村の茶津海岸を描いたもの。
北海道立近代美術館や、先日JT(日本たばこ産業)から当館に寄贈された、
「茶津の断崖」と同じモティーフです。
普段は附属図書館の会議室に飾られています。
この作品、50号の大きさ。
木田の作品の中では最大です。
当館が確認する50号の木田作品は、この作品ともう1点しかありませんので、
非常に貴重な作品といえます。
何より、普段、一般の方が観ることができない作品ですので、
札幌圏にお住まいの木田ファンの皆さん、
ぜひ、足をお運び下さい。
この「海岸風景」、10年前の、当館10周年記念特別展で、
はじめてお借りして、展示させていただいたほか、
当館が2012年度に開催した
「没後50年 木田金次郎と中谷宇吉郎展」会期中に、
バスツアーで北大を訪れた際に、
特別に附属図書館にお願いして、見せていただきました。
(その時の模様はこちら)
久しぶりに対面して、感慨もひとしおです。
木田金次郎と北海道大学とは、
有島武郎や黒百合会、
さらには、文子夫人が北大病院で看護婦をされていたことなど、
じつに様々な縁をもっています。
当館には、医学部細菌学講座から寄託されている
「中村博士像」(1950年)もあります。
「美術の北大展」には、
木田の門下生だった小野垣哲之助・坪谷六郎、
北大の近所に住んでいた岩内出身の中居定雄、
さらには木田と親しく交遊していた理学部教授の池田芳郎など、
さすが北大、という顔ぶれがズラリ。
林竹治郎、小川原脩、松島正幸といった、
北海道美術史に重要な位置を占める作家が数多く展示されています。
まだまだ新しい発見もあるかと思います。
これからの調査の進展も、楽しみです。
北大芸術学講座の皆さん、貴重な機会をありがとうございました!
(学芸員 岡部 卓)
※「美術の北大展」展覧会サイトはこちら
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美術の北大展
10月4日(土)~11月30日(日)
北海道大学総合博物館 3階企画展示室
入場無料
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岩内と炭鉱の関わり(3)
木田金次郎美術館で「夕張市美術館コレクション展」を開催する理由のひとつ、
岩内と炭鉱の関わりについて。
岩内が石炭積み出し港であった茅沼炭鉱は、
歴史的に大きな意味を持つ炭鉱です。
江戸時代にあたる、安政年間から採掘がはじまった、
「北海道最初の炭鉱」であることはもちろん、
明治2年には、炭鉱から茅沼の海岸まで、
レールを敷いて石炭を運んでおり、
これは日本の鉄道の起源でもある
「新橋・横浜間」よりも古いことから、
定義づけによっては、
「日本で最初の軌道」ともいわれています。
この、長い歴史を持つ茅沼炭鉱にも、
絵を描く人がおりました。
高田力雄(1913-1986)という人です。
岩内生まれの高田は、茅沼炭鉱に勤務しながら、
絵を描いており、1947(昭和22)年には道展に入選。
この頃、木田金次郎の指導を受けていたそうです。
岩内美術史を彩る一枚の写真があります。
「第4回後志美術協会」会場にて(岩内西小学校) 1949(昭和24)年7月1~5日
前列左から、高田力雄、牧野巌、間宮勇、安原謹二、酒井嘉也。
後列左から、小野垣哲之助、大島康督、因藤壽、佐藤栄次郎、大倉正美、一人おいて船木ウメ、片桐勉。
(この中の多くの方が、今年当館で開催した「絵の町・岩内:まちのコレクション」「町民コレクション」に登場しましたね)
前列左端の方が、高田力雄。
この、「後志美術協会」は、
終戦直後の1945(昭和20)年9月に結成された美術団体。
木田の年譜に、
「間宮勇・小川原脩らが中心となり、後志美術協会が結成され、木田も名を連ねる」
と記されているとおり、木田も関わっていた団体です。
とはいうものの、
同時期に結成された「全道美術協会(全道展)」と同様、
木田は一度も展覧会に出品することなかったといいます。
木田金次郎美術館では、この団体をテーマに、
企画展を2003年に企画展を開催しました。

「後志美術協会の作家たち展」2003年4月~5月
この展覧会の際に、
泊村より高田力雄の作品をお借りして、展示させていただきました。
茅沼集会所や、泊村公民館に、飾られていた作品です。
それから3年後の、2006年。
夕張市美術館の学芸員、源藤隆一さんから、
高田力雄についての問い合わせをいただきました。
夕張市美術館で、
道内の炭鉱画家を一堂に集めた展覧会を企画されており、
茅沼炭鉱から、高田力雄作品を出品したいとのことでした。
わずかな資料でしたが、当館で調べたことをお伝えしたのでした。

夕張市美術館
「山のグラフィック 炭鉱画家の鉱脈展」 2006年7月~9月
それが結実したのが、この展覧会。
炭鉱画家に光を当てた、画期的な展覧会として、
高い評価を得た展覧会でした。
残念ながら、この会期中に、夕張市の財政破綻が表面化。
担当した源藤さんも、2010年に、
病により帰らぬ人となってしまいました。
夕張市美術館が閉館し、作品の展示ができなくなったときに、
ほかの美術館で展示されることで、コレクションに光を当てられれば、
と思っていたのでした。
炭鉱に関わる街として、絵描きが多い街として、
地域に根ざした活動をする、地方美術館がある街として、
夕張と岩内は、共通点があるのです。
そこで、今回のような展覧会が実現したのでした。
(学芸員 岡部 卓)
***************************
木田金次郎美術館 開館20周年記念
夕張市美術館コレクション展
炭都・夕張の美術遺産
9月13日(土)~10月26日(日)
木田金次郎美術館 展示室4
***************************
岩内と炭鉱の関わりについて。
岩内が石炭積み出し港であった茅沼炭鉱は、
歴史的に大きな意味を持つ炭鉱です。
江戸時代にあたる、安政年間から採掘がはじまった、
「北海道最初の炭鉱」であることはもちろん、
明治2年には、炭鉱から茅沼の海岸まで、
レールを敷いて石炭を運んでおり、
これは日本の鉄道の起源でもある
「新橋・横浜間」よりも古いことから、
定義づけによっては、
「日本で最初の軌道」ともいわれています。
この、長い歴史を持つ茅沼炭鉱にも、
絵を描く人がおりました。
高田力雄(1913-1986)という人です。
岩内生まれの高田は、茅沼炭鉱に勤務しながら、
絵を描いており、1947(昭和22)年には道展に入選。
この頃、木田金次郎の指導を受けていたそうです。
岩内美術史を彩る一枚の写真があります。

「第4回後志美術協会」会場にて(岩内西小学校) 1949(昭和24)年7月1~5日
前列左から、高田力雄、牧野巌、間宮勇、安原謹二、酒井嘉也。
後列左から、小野垣哲之助、大島康督、因藤壽、佐藤栄次郎、大倉正美、一人おいて船木ウメ、片桐勉。
(この中の多くの方が、今年当館で開催した「絵の町・岩内:まちのコレクション」「町民コレクション」に登場しましたね)
前列左端の方が、高田力雄。
この、「後志美術協会」は、
終戦直後の1945(昭和20)年9月に結成された美術団体。
木田の年譜に、
「間宮勇・小川原脩らが中心となり、後志美術協会が結成され、木田も名を連ねる」
と記されているとおり、木田も関わっていた団体です。
とはいうものの、
同時期に結成された「全道美術協会(全道展)」と同様、
木田は一度も展覧会に出品することなかったといいます。
木田金次郎美術館では、この団体をテーマに、
企画展を2003年に企画展を開催しました。

「後志美術協会の作家たち展」2003年4月~5月
この展覧会の際に、
泊村より高田力雄の作品をお借りして、展示させていただきました。
茅沼集会所や、泊村公民館に、飾られていた作品です。
それから3年後の、2006年。
夕張市美術館の学芸員、源藤隆一さんから、
高田力雄についての問い合わせをいただきました。
夕張市美術館で、
道内の炭鉱画家を一堂に集めた展覧会を企画されており、
茅沼炭鉱から、高田力雄作品を出品したいとのことでした。
わずかな資料でしたが、当館で調べたことをお伝えしたのでした。

夕張市美術館
「山のグラフィック 炭鉱画家の鉱脈展」 2006年7月~9月
それが結実したのが、この展覧会。
炭鉱画家に光を当てた、画期的な展覧会として、
高い評価を得た展覧会でした。
残念ながら、この会期中に、夕張市の財政破綻が表面化。
担当した源藤さんも、2010年に、
病により帰らぬ人となってしまいました。
夕張市美術館が閉館し、作品の展示ができなくなったときに、
ほかの美術館で展示されることで、コレクションに光を当てられれば、
と思っていたのでした。
炭鉱に関わる街として、絵描きが多い街として、
地域に根ざした活動をする、地方美術館がある街として、
夕張と岩内は、共通点があるのです。
そこで、今回のような展覧会が実現したのでした。
(学芸員 岡部 卓)
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木田金次郎美術館 開館20周年記念
夕張市美術館コレクション展
炭都・夕張の美術遺産
9月13日(土)~10月26日(日)
木田金次郎美術館 展示室4
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中学生と『しりべしミュージアムロード』巡りへ
9月27日、岩内第一中学校の美術部の生徒さん15名と顧問の神山先生と、しりべしミュージアムロード巡りへ行ってきました。
先生から「生徒たちに、美術館をみせてあげたい」というお話を聞き、協力したいと思い企画しました。木田美、西村美、小川原美の3館を巡るツアーです。
木田金次郎美術館では、ちょうど前日の9月26日は岩内大火から60年ということで、 「大火直後の岩内港」の前では岡部学芸員の解説にも熱が入り、生徒の皆さんも感慨深く鑑賞していました。

文化センターの緞帳にも使われている絵だと気が付いた子もいました。

夕張展も、普段は見ることが出来ない作品を熱心に鑑賞していました。

「たら丸バス」に乗り、次は西村計雄記念美術館へ。
はじめに磯崎学芸員と作品を囲んでお話をしながらの鑑賞。
生徒さんたちは、磯崎さんからの質問や、自分の感じたことを恥ずかしがりながらもしっかりと発言していました。

その後は、ワークシートの問題を解いたり、館内に隠れている“こびと探し”をしたり、自由な時間を過ごしました。
最後は小川原脩記念美術館へ。
沼田学芸員に、展示作品の中から何点か挙げ、初期と晩年の作風の違いを、色彩やモチーフ、構図などを比較しながら説明してもらいました。

一週間後には学校祭があるとのことで、出品する作品制作が忙しい中参加してくれた生徒さん、お疲れ様でした。
3館まわって、予定時間も過ぎてしまい、帰りのバスでは寝ている子もいて、一日に3館はちょっときつかったかな?と思いつつ、少しでも今後の自分の制作に活かしてくれたらいいなあと思います。(G・I)
先生から「生徒たちに、美術館をみせてあげたい」というお話を聞き、協力したいと思い企画しました。木田美、西村美、小川原美の3館を巡るツアーです。
木田金次郎美術館では、ちょうど前日の9月26日は岩内大火から60年ということで、 「大火直後の岩内港」の前では岡部学芸員の解説にも熱が入り、生徒の皆さんも感慨深く鑑賞していました。

文化センターの緞帳にも使われている絵だと気が付いた子もいました。

夕張展も、普段は見ることが出来ない作品を熱心に鑑賞していました。

「たら丸バス」に乗り、次は西村計雄記念美術館へ。
はじめに磯崎学芸員と作品を囲んでお話をしながらの鑑賞。
生徒さんたちは、磯崎さんからの質問や、自分の感じたことを恥ずかしがりながらもしっかりと発言していました。

その後は、ワークシートの問題を解いたり、館内に隠れている“こびと探し”をしたり、自由な時間を過ごしました。
最後は小川原脩記念美術館へ。
沼田学芸員に、展示作品の中から何点か挙げ、初期と晩年の作風の違いを、色彩やモチーフ、構図などを比較しながら説明してもらいました。

一週間後には学校祭があるとのことで、出品する作品制作が忙しい中参加してくれた生徒さん、お疲れ様でした。
3館まわって、予定時間も過ぎてしまい、帰りのバスでは寝ている子もいて、一日に3館はちょっときつかったかな?と思いつつ、少しでも今後の自分の制作に活かしてくれたらいいなあと思います。(G・I)
岩内と炭鉱の関わり(2)
好評いただいております、夕張市美術館コレクション展。
前回に引き続き、元館長の森嶋敏行さんにいただいた写真です。
この写真、何だかおわかりでしょうか?

発足(はったり)駅付近の索道
1959年頃 森嶋敏行氏撮影
「発足駅」と聞いても、
鉄道マニアの方でも、ピンと来る方は少ないかもしれません。
前の記事(岩内と炭鉱の関わり(1))で、
泊村の茅沼(かやぬま)炭鉱のことを書きましたが、
この写真も、石炭輸送に関するものです。
前の記事でご紹介した、1935(昭和10)年の写真では、
茅沼炭鉱から岩内まで「索道」(空中ケーブル)で石炭を運ぶ様子を紹介しましたが、
戦後は、この「発足」から岩内まで、
「茅沼炭鉱鉄道」の貨車で、岩内港まで石炭を輸送していたのです。
しかし、依然として、炭鉱から「発足」までは、
「索道」で石炭を運んでいました。
写真に写る建物は、索道の終点。
ここでバケット(かご)に入れられた石炭が、貨車に積み替えられます。
この施設も、索道を支える塔も、木造だったようです。
この場所、現在の「とまりん館」付近です。
岩内から向かうと、「とまりん館」の手前にある「ローソン」の裏手。
国道側から、岩内方向(ほぼ南側)を向いた角度でしょうか。
「茅沼炭鉱鉄道」は、堀株川を渡り、砂丘地帯を通り、
国鉄岩内線の西前田駅付近から、岩内線と併走していました。
終点は、国鉄岩内駅の裏手、
そう、木田金次郎美術館付近です。

前回ご紹介した写真を、屋上ガラスフードに貼ってみました。
1935年の風景とおなじアングルで眺めることができますよ!
一枚の写真が、貴重な風景を伝えてくれます。
この写真も、「夕張市美術館コレクション展」の会場に展示しています。

まだまだ紹介しきれておりませんので、
さらに次回に続きます。
お楽しみに!
(学芸員 岡部 卓)
***************************
木田金次郎美術館 開館20周年記念
夕張市美術館コレクション展
炭都・夕張の美術遺産
9月13日(土)~10月26日(日)
木田金次郎美術館 展示室4
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前回に引き続き、元館長の森嶋敏行さんにいただいた写真です。
この写真、何だかおわかりでしょうか?

発足(はったり)駅付近の索道
1959年頃 森嶋敏行氏撮影
「発足駅」と聞いても、
鉄道マニアの方でも、ピンと来る方は少ないかもしれません。
前の記事(岩内と炭鉱の関わり(1))で、
泊村の茅沼(かやぬま)炭鉱のことを書きましたが、
この写真も、石炭輸送に関するものです。
前の記事でご紹介した、1935(昭和10)年の写真では、
茅沼炭鉱から岩内まで「索道」(空中ケーブル)で石炭を運ぶ様子を紹介しましたが、
戦後は、この「発足」から岩内まで、
「茅沼炭鉱鉄道」の貨車で、岩内港まで石炭を輸送していたのです。
しかし、依然として、炭鉱から「発足」までは、
「索道」で石炭を運んでいました。
写真に写る建物は、索道の終点。
ここでバケット(かご)に入れられた石炭が、貨車に積み替えられます。
この施設も、索道を支える塔も、木造だったようです。
この場所、現在の「とまりん館」付近です。
岩内から向かうと、「とまりん館」の手前にある「ローソン」の裏手。
国道側から、岩内方向(ほぼ南側)を向いた角度でしょうか。
「茅沼炭鉱鉄道」は、堀株川を渡り、砂丘地帯を通り、
国鉄岩内線の西前田駅付近から、岩内線と併走していました。
終点は、国鉄岩内駅の裏手、
そう、木田金次郎美術館付近です。

前回ご紹介した写真を、屋上ガラスフードに貼ってみました。
1935年の風景とおなじアングルで眺めることができますよ!
一枚の写真が、貴重な風景を伝えてくれます。
この写真も、「夕張市美術館コレクション展」の会場に展示しています。

まだまだ紹介しきれておりませんので、
さらに次回に続きます。
お楽しみに!
(学芸員 岡部 卓)
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木田金次郎美術館 開館20周年記念
夕張市美術館コレクション展
炭都・夕張の美術遺産
9月13日(土)~10月26日(日)
木田金次郎美術館 展示室4
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一中生が職場体験学習に来ました
9月10日~11日の2日間、岩内第一中学校2年の男子生徒2名が職場体験学習に来ました。
朝のごみ拾いから始まって事務所内の拭き掃除、お茶出し、受付業務やラウンジでのお客様対応、展示室内の監視や事務所での雑務等、美術館の様々な仕事をお手伝いいただき、感想を書いてもらいました。
****************************
この木田金次郎術館に来て人との接し方や態度など、色々学びました。

特に心に残ったことは、お客さんに挨拶をすることです。
アルバイトもした事が無い俺にとっては、とてもとは言わないが、難しい事でした。
だって、お客さんに【いらっしゃいませ】なんて、急に言えないからです。
「まず、練習から」っと言われ、練習をしました。
最初は、恥ずかしくて、うまくやれませんでした。だけど、やってるうちにコツもつかみ、うまくやれました。
そして、お客さんが来て、「いっらしゃいませ」っと、…うまくやれました。

俺にとって心に残りました。二日間職場体験を通して、損はしてません.すごく楽しかったです。
わからないことがあっても、優しく教えてもらって、すごくやさしかったです。
木田金次郎美術館の皆さん二日間ありがとうございました。
(岩内第一中学校2年2組K・T君)
今回の職場体験で木田金次郎美術館を選んで二日間美術館ではどのような仕事をしているのか体験しましたが、とても楽しかったです。
普段は美術館には行かないので最初は仕事内容も分からなかったけど、実際に見てみるとこのような仕事をしているんだとよく分かりました。

そして、美術館の展示されているものも一日目の案内で見て回りどんな絵があるのかということもわかったので楽しかったです。
次も職場体験があるのならもう一度ここに来たい。そう思いました。
この体験を通じてこれからは色々な所にある美術館を見に行きたいと思いました。

この二日間は本当に楽しかったし、絵の事について興味を持つことが出来たので良かったと感じています。
木田金次郎美術館の皆さん、二日間本当にありがとうございました。
(岩内第一中学校2年2組N・S君)
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一生懸命取り組む姿が微笑ましかったです。ありがとうございました。
とても助かりました。スッタフ一同。
朝のごみ拾いから始まって事務所内の拭き掃除、お茶出し、受付業務やラウンジでのお客様対応、展示室内の監視や事務所での雑務等、美術館の様々な仕事をお手伝いいただき、感想を書いてもらいました。
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この木田金次郎術館に来て人との接し方や態度など、色々学びました。

特に心に残ったことは、お客さんに挨拶をすることです。
アルバイトもした事が無い俺にとっては、とてもとは言わないが、難しい事でした。
だって、お客さんに【いらっしゃいませ】なんて、急に言えないからです。
「まず、練習から」っと言われ、練習をしました。
最初は、恥ずかしくて、うまくやれませんでした。だけど、やってるうちにコツもつかみ、うまくやれました。
そして、お客さんが来て、「いっらしゃいませ」っと、…うまくやれました。

俺にとって心に残りました。二日間職場体験を通して、損はしてません.すごく楽しかったです。
わからないことがあっても、優しく教えてもらって、すごくやさしかったです。
木田金次郎美術館の皆さん二日間ありがとうございました。
(岩内第一中学校2年2組K・T君)
今回の職場体験で木田金次郎美術館を選んで二日間美術館ではどのような仕事をしているのか体験しましたが、とても楽しかったです。
普段は美術館には行かないので最初は仕事内容も分からなかったけど、実際に見てみるとこのような仕事をしているんだとよく分かりました。

そして、美術館の展示されているものも一日目の案内で見て回りどんな絵があるのかということもわかったので楽しかったです。
次も職場体験があるのならもう一度ここに来たい。そう思いました。
この体験を通じてこれからは色々な所にある美術館を見に行きたいと思いました。

この二日間は本当に楽しかったし、絵の事について興味を持つことが出来たので良かったと感じています。
木田金次郎美術館の皆さん、二日間本当にありがとうございました。
(岩内第一中学校2年2組N・S君)
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一生懸命取り組む姿が微笑ましかったです。ありがとうございました。
とても助かりました。スッタフ一同。
木田金次郎美術館開館20周年記念 夕張市美術館コレクション展によせて
財政破たんした後、「積雪による屋根の崩落」で美術館としての活動を断念した、夕張市美術館の絵が、9月13日(土)から岩内で展示されています。


夕張から岩内に嫁いだ私にとっては、大変感慨深いものがありました。
15名の作家による31点の作品と聞き、中学3年生の時の担任であった、江川先生の作品も入っているのか、美術館に問い合わせました。
以前から江川先生と親交があるとお聞きしていた学芸員の岡部さんから、先生の絵も1点入っているとのお返事でした。
先生からは、札幌の時計台ギャラリーで9月15日から開催される個展の案内状を頂いていました。
早速、先生にお電話し、岩内での展示についてお話しましたら、13日は、個展の搬入で忙しいが、期間が長いので、一度行ってみたいとのことでした。
それならアッシーが必要と、同級生に連絡を取りました。
10月に入ってから、何人かで来たいということです。お陰様で、岩内でクラス会ができそうです。

2007年3月撮影
夕張市美術館ができたのは、私が嫁いだ後ですし、30年以上前に両親も出ているものですから、私には、美術館の思い出はありません。
ただ、この度、夕張も「絵の町」だったと聞かされ、弟が油絵を描き続けていることや、高校時代、同じ学年の方に頼まれ、展覧会用の絵のモデルになったことなどを思い出しました。
13日、1時からの「美術館講座」に参加しました。
夕張からは、前の館長・上木和正様が、ご家族同伴でお越し下さり、1枚1枚丁寧に絵の説明をしてくださいました。
描かれている背景や地名・学校の名前など、懐かしい思いでいっぱいになりました。
国鉄の駅が8つ、ほとんどの駅から私鉄線が走り、12万もの人口を抱えて賑わっていた町が、今では一万を切ったとか。
多くの方が、炭鉱という、危険な仕事に携わり、薄い壁一枚の長屋で、同じ銭湯に入り、みんな、親戚か兄弟のような付き合いをしていた町でした。

上木前館長の「みなさんに絵を見ていただいて、絵が喜んでいます。」という言葉を聞いて、これらの絵を、岩内だけでなく、日本中に散らばった夕張出身者にも見せてあげたいものだと思いました。

夕張で出会えなかった絵に、こんな形で会わせてくださった今回の企画に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。(N・Y)


夕張から岩内に嫁いだ私にとっては、大変感慨深いものがありました。
15名の作家による31点の作品と聞き、中学3年生の時の担任であった、江川先生の作品も入っているのか、美術館に問い合わせました。
以前から江川先生と親交があるとお聞きしていた学芸員の岡部さんから、先生の絵も1点入っているとのお返事でした。
先生からは、札幌の時計台ギャラリーで9月15日から開催される個展の案内状を頂いていました。
早速、先生にお電話し、岩内での展示についてお話しましたら、13日は、個展の搬入で忙しいが、期間が長いので、一度行ってみたいとのことでした。
それならアッシーが必要と、同級生に連絡を取りました。
10月に入ってから、何人かで来たいということです。お陰様で、岩内でクラス会ができそうです。

2007年3月撮影
夕張市美術館ができたのは、私が嫁いだ後ですし、30年以上前に両親も出ているものですから、私には、美術館の思い出はありません。
ただ、この度、夕張も「絵の町」だったと聞かされ、弟が油絵を描き続けていることや、高校時代、同じ学年の方に頼まれ、展覧会用の絵のモデルになったことなどを思い出しました。
13日、1時からの「美術館講座」に参加しました。
夕張からは、前の館長・上木和正様が、ご家族同伴でお越し下さり、1枚1枚丁寧に絵の説明をしてくださいました。
描かれている背景や地名・学校の名前など、懐かしい思いでいっぱいになりました。
国鉄の駅が8つ、ほとんどの駅から私鉄線が走り、12万もの人口を抱えて賑わっていた町が、今では一万を切ったとか。
多くの方が、炭鉱という、危険な仕事に携わり、薄い壁一枚の長屋で、同じ銭湯に入り、みんな、親戚か兄弟のような付き合いをしていた町でした。

上木前館長の「みなさんに絵を見ていただいて、絵が喜んでいます。」という言葉を聞いて、これらの絵を、岩内だけでなく、日本中に散らばった夕張出身者にも見せてあげたいものだと思いました。

夕張で出会えなかった絵に、こんな形で会わせてくださった今回の企画に、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。(N・Y)
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