見応えのある似鳥美術館

 昨年秋と今回と小樽芸術村を鑑賞してきた。
その中の似鳥美術館は地上4階地下1階建てで4階から3階に日本画、洋画等約110点ほど展示されている。
小樽芸術村のコンセプトは、小樽が最も栄えた19世紀後半から20世紀初頭を中心とした近代芸術の作品を集めていることだ。

 4階には日本画を展示している。入って左側には上村松園のはんなりした美人画、そして川端龍子の「長春花」の白薔薇が目を引く。下地の色を残して白薔薇の立体感を見事に表現している。地面は描かれてはいないが、根元の逞しさから肥沃な土の匂いが漂ってくるようだ。
川合玉堂の「緑陰水車」や「雪霽(せっさい)」は働いている人たちの生き生きとした様子が伝わってくる。季節感があり画面構成も実に巧みだ。

 3階入って右手には山下清の貼り絵とペン画が並ぶ。桜島を描いたものが3点ある。近景の瓦の線は紙をねじったりして工夫している。「浅草寺の年の暮れ」は屋根の上を切り空を入れずに、手前の人々のざわめきが聞こえてきそうな躍動感がある。
正面一番奥には岸田劉生の「静物(リーチの茶碗と果物)」が暗めの照明に浮かび上がっている。形をわざとゆがませて質感はしっかりと描いている。劉生の不思議さは言葉にしようがない。
今回新しく購入した「2人のセイレーン」は、ルノアールの晩年の、形と色の豊かさをよく伝えている。
左側にある梅原龍三郎の絵はとても力強く生命力を感じる。

 小樽というすぐ近くにこのような名作を見られる美術館があるのは、つくづく幸せだと思った。
これからも時間をかけてゆっくりとそれぞれの作家と対峙していきたい。(S.S)
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慈愛溢れる仏像彫刻

 岩内に仏像を彫っている方がいるということで、高台のお宅をお伺いした。
船見光英さん(90歳)で、奥様とともに柔和な笑顔で迎えてくださった。

 若い時は旋盤工として働いていたが、昭和29年の岩内大火で焼け出され、全修寺に仮住まいをしていたところ、その敷地内に家を建ててもらって住んでいたそうだ。
奥様はそこで洋裁教室を開き、船見さんは40歳代で全修寺の住職に勧められお坊さんになった。
そして45歳の時に、大仏師、松久朋琳著「心を刻む」の本に出会い仏像を彫り始めた。そして30センチメートルほどの大きさの30体ほどを制作したそうだ。

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 韋駄天像は3体彫って、全修寺と他の曹洞宗のお寺2軒に奉納されている。
今回拝見させていただいたなかで聖徳太子像がとても印象に残った。手に持っている物と手を切り離さないように緻密に彫っていた。顔は若く初々しくて美しかった。
仏像はみな穏やかな表情をしていて、見ていて心が安らぐものばかりだった。

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 ご夫婦二人で30代後半に札幌南校の通信教育を受けて、毎日夜3時間勉強を続け4年間で卒業したそうだ。
それがNHKの「500万人の顔」という番組で取り上げられた。そんな仲睦まじいご夫婦の生活の基盤があってこその仏像彫刻のように思われた。
退職した後も毎日仏像をご家族で拝んでいるという船見家の信仰心の篤さに心を打たれた。(S.S)

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窪島誠一郎さんと木田金次郎美術館〈後編〉

以前から1987年岩内ロータリークラブが20周年記念事業として「木田金次郎画集」を刊行したりなど、町民のあいだでも木田作品を取りまとめた美術館が欲しいという要望がありましたが、窪島さんを囲んだこの夜の集まりが具体的、積極的な美術館建設運動がスタートするきっかけとなりました。

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翌年1987年6月前年窪島さんを囲んだ仲間を中心に8人で信濃デッサン館をはじめ信州各地の美術館の視察研修を実施し、この機会にも窪島さんから美術館運営について色々な示唆を頂きました。その後この活動の中心となる「木田金次郎美術館を考える会」が結成されました。
各地美術館の実態調査や運営状況の把握、世論喚起のための講演会の開催、マスコミ対応等々望ましい美術館の姿を求め、又町民が誇りを持てる、みんなで創る美術館を目指し活動が続きました。
これらの運動を通じて得た経験知識を基に1988年「今だからこそ木田金次郎美術館を」の美術館建設を要望する提言書を岩内町に提出しました。

やがて一連の運動が功を奏し、1993年4月岩内町に木田美術館の開設準備室が設置され、1994年11月3日文化の日に待望の木田金次郎美術館が開館しました。

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2017年10月2日、今回小樽文学館での「窪島誠一郎展」の記念講演会が展覧会場で開催されました。講演を終えた窪島さんは翌13日に岩内町を訪れ、荒井記念美術館ホールで朗読会「岩内讃歌」と対談会「岩内を語る」を開催し、多くの聴衆を前に岩内への熱い思いを語り好評でした。(M.T)

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窪島誠一郎さんと木田金次郎美術館<前編>

この秋2017年9月30日より12月3日まで、
小樽文学館で「窪島誠一郎展」が開催されました。
長野県上田市にある二つの美術館“信濃デッサン館”と“無言館”の館主の窪島さんは「父への手紙」(筑摩書房)「信濃デッサン館日記」(平凡社)など80冊余りの著作や、新聞雑誌にエッセイなど数多くの作品を発表している作家です。

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窪島さんと私達の出会いは1986年の暮れの事でした。

当時岩内郷土館の庄崎之男館長から、捜し当てた実父が第45回直木賞作家の水上勉であった事が大きな話題となった窪島さんが今岩内に来ている。君達若い人達で歓迎の席を持ち、岩内の歴史や文化について歓談してはどうかと仲間の笠井君の所に連絡がありました。

笠井君の呼び掛けで7~8名の仲間が集まり、早速その夜地元の老舗料亭の“いりかせ”二階の広間で歓迎の夕食会が開かれました。
歓談が進み岩内の町が歩んで来た歴史や花ひらいた芸術文化、大衆芸能などに話が及び、岩内で生まれ、故郷の自然を愛し、描き続け、多くの優れた作品を残し、この地で一生を終えた画家・木田金次郎が話題となりました。

この町に木田金次郎美術館が必要なのではなど、色々な意見が出た中で、ゲストの窪島さんから「岩内に木田美術館を作る事は、木田作品を飾り紹介するためだけでは無く、この町が鰊で繁栄した時代やその後の漁業の栄枯盛衰、そして岩内大火の焼け跡から必死に立ち上がった町づくりなど、岩内人の心意気やふるさと岩内の歴史などをそれらと重なる木田金次郎の画業や作品を通じて、将来に伝えるために必要なのではないだろうか」との発言がありました。

その場にいた皆からも「そうだ今の岩内はどこか岩内らしさが失われつつあるような気がする。岩内町民がもっと自身を持ち、かつての岩内の姿を取り戻すためにもぜひ木田美術館建設の実現に向け動こうではないか」という意見がその夜のまとめになりました。
                           ~後編へ続く

サプール写真展 「平和をまとった紳士たち」

 数年前に手にした写真集が、ずっと頭の片隅に残っていた。
色彩豊かな洋服をパリコレのモデルのように着こなすアフリカ系男性に「なんてかっこいいのだろう」と感じ、札幌のデパートで写真展が開催されたのを見に行ってきた。

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 SAPEUR=サプールとは、お洒落で優雅な紳士協会をフランス語で表したときの頭文字の略であり、中部アフリカコンゴ共和国に住むおしゃれな男性集団を指す。内戦が続き豊かとはいえない生活なのに高級ブランド服を身に付け、週末は自慢のコーディネイトでストリートを練り歩く。 
 彼等のファションは、カトリック信仰に基づき平和主義を体現している。武器を捨てエレガントに生きることを一番の目的とし日本人デザイナーのケンゾーやヨウジヤマモトを崇拝し、月収以上の洋服を手入れして大切に扱い着こなす。

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 平和であるからお洒落なファッションを追求できるし、伊達男でいられる。スタイルのある彼等、非暴力で美しさにパワーを込める。なんて愛すべき男性、と心からそう感じた。(S.K)

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