ゴッホ展と旅の思い出

この夏8月26日より10月15日まで道立近代美術館で開館40周年を記念し「ゴッホ展・巡りゆく日本の夢」を開催するとの新聞広告を目にした。
新聞ではゴッホの絵画は愛好者が多く同館で2002年に開催した「ゴッホ展・Vincent&Theo Van Gogh」では28万人の入館者があり、道内最多を記録したと報じていた。

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偶然だが2002年4月、この展覧会の3か月前私はゴッホが多くの傑作を描いたフランスのプロバンス地方にゴッホの足跡を訪ねていた事を思い出した。
ゴッホがアルルで描いた花瓶の「ひまわり」の作品は焼失した分も含め7点といわれているが、エクサンプロバンスで宿泊したホテル・フルマランのロビーで絵と同じような美事なひまわりの花を目にした。
高さ60㎝前後の大きなひまわりの切り花が縦長のガラスの花瓶に7~8本まとめて飾られていた。

翌日はゴッホが「跳橋」を描いた場所へ足を運んだ。
ゴッホの作品では跳橋の上には馬車が、そして川岸の土手には数人の洗濯女が描かれているが目前の跳橋は後年復元された橋でコンクリート製の護岸に架設され、洗濯が出来るようなのどかな空気はなかった。
穏やかに流れる川面を見ながら時の流れとゴッホがアルルのこの地で絵筆を手にした1888年当時からの世の移りかわりを実感した。

私が好きな作品のひとつにゴッホが初めて星空を描いたといわれている「夜のカフェテラス」があります。
夜のとばりで青色に染まった星空や広場の石畳、そしてカフェテラスをガス燈の黄色い光が明るく照らすこの作品は色彩のコントラストが魅力的な作品です。
私がここでランチを取ったのはお昼過ぎでした。
ラオルム広場に面したカフェの黄色の外壁には大きくCAFÉ VAN GOGHと書かれ高く明るいアルルの青空から輝く南仏の太陽の光がふりそそいでおりました。
以前から気にかかっていたカフェの建物の中は一階ホールの左手にバーカウンター、右手に二階への大きな階段、一階ホールのテーブル席の上部空面は吹き抜けで太く長い荒削りの粱が天井を支え、中二階の椅子席がバーカウンター上部の空面に設けられておりました。

その後アルルから20㎞余り先のサン・レミに向いゴッホが独特の力強いタッチでうねるように天をめざす糸杉やポプラを描いた郊外の樹々を目にしながらサン・ポール・ド・モルゾ精神療養所を訪ねました。
その中庭回廊花壇のそばにたたずみ、ゴーギャンとの破局から片耳下部をそぎ落とし、やがて終焉への道をたどり始めたファン・ゴッホの生涯に思いを馳せた南仏の旅でした。(M.T)
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「春のモイワ」  木田金次郎

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 この句、月刊総合俳誌「俳句四季」のタイトル<一枚の絵>に絵と共に掲載されたもので絵に木田の代表作の一つ『春のモイワ』を選び俳人が詠んだ一句である。

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1961年 春のモイワ

・・・大胆な描線が印象的で日本海を望む岩内地方の風景の象徴ともいうべき絵である。この絵は木田晩年の作品であるが、日本海の荒々しい波に洗われる風物を、終生描いた画家の姿勢がみられる。・・・
と文中で述べている。

有島との出会いから木田がふるさとでひたすら絵に精進したことも簡潔に紹介している。ページ上半分に文、下半分に絵の構成。
俳句には全くの門外漢の私でも、日本海の果てしない広がりを背景に春への憧れと同時に天空にぐさっと突き刺さるような巨岩に打ち寄せる厳冬の荒波のきびしさ等、大自然に人の気持ちをしかり詠みこんだいい作だなと思う。

 また、源 鬼彦は札幌市在住、俳誌「道」を主宰、「俳句四季」吟詠選者等を務め道内外俳句文化の向上に貢献している。
道新日曜版に載る俳句の撰者としても馴染みのある方だ。(O.Y)

木田金次郎美術館名誉館長 青塚誠爾先生と「元朝の漁港」

雪まじりの寒風の中を鯳漁の漁船が沖に向かう。岩内港の冬の風物詩と云えます。
港町岩内の冬は鯳はえ縄漁業で漁師も水産加工場も忙しい季節を迎えます。
歳末の慌ただしさも除夜の鐘と共に新年を迎えると元旦は漁も休みとなり港もおだやかな表情を取り戻します。

以前、毎年元旦の朝に岩内港で絵筆を握る画家がおりました。
木田金次郎美術館の名誉館長青塚誠爾先生でした。
木田金次郎の門下生として現場主義こそ写実絵画の基本との教えを忠実に守り、その年の描き初めは、日の丸と大漁旗を掲げた漁船を係留する新春の岩内港でした。
季節風の西風が吹き荒ぶ中、寒さにもめげず毎年元旦の港の姿を描き続けて来ました。
例年道展への出品作品は「元朝の漁港」のタイトルで2005年青塚先生が亡くなるまで30年余りも続きました。
画題は同じでも構図は毎年異なり、岩内港風景はライフワークでもありました。

がんちょう
「元朝の漁港」1986年

現在、道新の文化部長の鳥居和比徒さんが岩内支局長時代に道新2004年1月17日のコラム「地域」に次のような記事を書いております。
北海道新聞岩内支局の新年の仕事は毎年、元日の朝に岩内港岸壁で漁船の絵を描いている男性への取材から始まる。同町在住の道展会員青塚誠爾さん(80才)木田金次郎最後の弟子の一人だ。港での描き初めも木田から「港には変化がある。モチーフになるものがたくさんある」と勧められたのがきっかけだったと云う。

この頃お正月の道新には岩内港で制作中の青塚先生の写真と記事がよく掲載されました。
青塚先生が亡くなられて13年余りとなりましたが、毎年この季節には「老先短い老画学生」と云いながら元日の制作に必要な準備をされていた青塚先生の姿がなつかしく思い出されます。(M.T)
元朝
「元朝の漁港<遺作>」2005年

佐藤喬の山の絵美術館「江幌小屋」を訪ねて

上富良野駅から起伏のある畑の中を4キロメートルほど行くと、車庫と古い民家と新しい住宅、プレハブの建物が並んでいる。
古い家が「江幌小屋」だ。
周りにはコンビニは勿論民家も全く見えない。
1998年開設で、1階が山の絵、2階には建物や人物の油絵や水彩画、人物の彫刻が展示されている。
約100点近くあるそうだ。
無料で鑑賞でき不定休とのこと。

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画家の佐藤喬さんからお話を伺った。
中学校の美術の教員をしていた喬さんは、札幌西高校を卒業した後札幌分校に行く。
西高の美術部は佐藤忠良さんとかがいてとても自由な校風だった。
札幌分校を卒業してから少し回り道をしてから郡部で教員をしていた。
後半は札幌で務めていて、50代から山の近くに住みたいということで家を探していたそうだ。
十勝岳周辺に住みたいということで、この農家の家と土地を退職前に買って手直ししていたそうだ。
札幌から毎週来ていたので、地元の人ともすぐ溶け込めたという。
最初はここに住む予定だったのが、教え子が来た時に作品をここに飾ったらと言われて、書き溜めてどこにも発表していなかった作品を展示するようになったそうだ。
退職した後、絵を描いたり彫刻をすることが仕事になっている。
「札幌だと彫刻をする仕事場がなかったが、ここだと思うように制作できるからいい。売り絵は描きたくない。俺は死んでいないぞ、生きているぞ、いつかみんなに認めてもらう絵を描くぞ、そう思って制作していて生きているという実感がある。ぬるま湯には浸かっていない。」
そう話す喬さんは飄々としていながら、地に足をつけて生きている印象が強くある。

喬さんは今年の春に閉校した江幌小学校で、ボランティアで17年近く絵を教えていたそうだ。
事の成り行きは、町内の飲み会で周りの人に 手伝ってくれないかと言われて、教えに行くようになった。
写生会や卒業制作を手伝っていた。
版画や陶芸や粘土で動物をつくったりしていた。
学校全体で17、8人、小さい学校だったからその子に合わせたきめ細かい指導ができた。
みんなすごくうまくなって、町の文化祭で目立つようになり、子ども達が自信を持ってやれるようになった。
そして音威子府工芸高校に数人入って活躍している。
今でもその子ども達とは連絡を取り合っているという。

「江幌小屋」には年間500人ほどのお客さんが来る。
その人たちが、喬さんに、よく奥さんがここに家を建てて住むことに賛成しましたねと言っていくと笑っていた。
奥さんは優しい笑顔で、田舎が好きだからと話しておられた。
ご夫婦2人のとびっきりの笑顔が「江幌小屋」の魅力なのかと、強く感じさせられた。

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「江幌小屋」へ行くには、上富良野町観光協会か江幌小屋のホームページをご覧ください。
事前に電話連絡をするとよいでしょう。(S.S)

「上富良野町観光協会」はこちらクリック

「江幌小屋」はこちらクリック
空知郡上富良野町西6線北27号 Tel,Fax0167-45-3354

トイレに見るやきもの文化***江別市セラミックアートセンター

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この展覧会の副題は「染付便器の民族誌」とあります。
明治中期から大正時代にかけて、瀬戸地方で盛んに作られた 染付け古便器の展示を見てきました。
古便器とは、非水洗式トイレ用に作られ、陶磁器製便器の総称です。
江戸時代末期は、木製便器を使用していました。
当時、藍染めの着物や染め付けの食器が普及し、青白の組み合わせが粋であると流行しあこがれの対象になったため、そのブームが便器にも影響したそうです。
展示品も陶器製の白地にコバルトで文様が描かれていますが、唐獅子/鷹/富士山など吉祥模様で、花では牡丹がもっとも多く描かれています。
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昭和という時代が懐かしがられ、古い住宅もリノベーションされカフェに変身したり好意的に利用されていますが、私の幼年時代は、豪華絢爛な柄付の和式トイレが恐ろしくて、お化けが出てきそうで苦手だった思い出があります。
子供には、華麗な装飾はただヘビーでした。
改めて鑑賞すると、日本人の感性の細やかさ職人技につくづく感心させられました。
特別注文の作者の銘入の便器もあり、使うのが惜しくならないのかと考えてしまいました。
昔の人はご不浄と呼んだりしましたが、トイレはきれいな場所、そうあるべきだと認識を改めた次第です。(S.K)

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