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美術館講座「有島再会バスツアー」

木田美術館では年4回学芸員を講師に美術館講座を開催しています。5月から隔月で第2土曜日に行われ本年3回目の講座は「有島再会バスツアー」で9月14日に開催されました。
1910年秋、木田金次郎が札幌市郊外の白石村で偶然目にした有島武郎宅に自分が描いた絵を見てもらうため訪問した時が木田と有島の初めての出会いでした。それから7年後の1917年秋、木田金次郎宛に有島武郎から「狩太の農場に数日滞在するので農場に来ませんか」と便りがありました。
11月12日木田金次郎は狩太に向い農場で有島武郎に再会し夜を徹して語り合い、二人の絆はさらに深まりました。この再会の翌年1918年3月16日から大阪毎日新聞、東京毎日新聞に有島武郎の「生れ出づる悩み」の連載小説がはじまりました。二人が再会した1917年、木田金次郎が狩太の有島農場へ向かった経路、足跡を辿るのが今回の講座「有島再会バスツアー」のテーマでした。
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17名の受講者はたら丸バスで13時に木田美術館を出発しました。廃線となった旧国鉄岩内線に沿って走るバスの中で、岡部学芸員から木田金次郎は汽車で狩太に向かった、今から約100年余り以前すでにこの辺りは鉄道が利用出来たなどと当時の鉄道事情について解説がありました。
バスは国富から国道5号線に入り、倶知安峠を経由し、ニセコ町郊外で右折、792号線から道道66号線を通ってJRニセコ駅に到着しました。駅には有島記念館の伊藤学芸員が待ち受けていて、以前使用していた機関車の転車台や、駅周辺の倉庫や施設等について説明がありました。

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有島記念館ではビデオ解説や伊藤学芸員から有島の農場開放に関する資料の説明があり、その後展示室での自由研修やギャラリーで開催中の藤倉英幸さんのはり絵作品のコレクション展などを鑑賞し、15時45分有島記念館を後にしバスは岩内町に向け帰路につきました。(M.T)

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ミュージアムロード・コンサート“室内楽の魅力”を聞いて

まず始めに何より驚いたのは岩内にもこういう室内楽のコンサートがあるということ。思い起こせば四十数年前大学でクラシックのサキソフォーンをフランスのコンセルバトワールを首席で卒業した先生に教わったことでアンサンブル等をやっていたこと頃を思い出しながら聞いていました。

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フルートの演奏はとてもソフトな音色であり、リズムテンポがとても軽快で、又皆さんもよく知ってらっしゃる有名な曲で一杯でした。
美術館の素晴らしい作品に囲まれながら演奏される曲はとっておきの素敵な時間でした。

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自分の心を落ち着かせ心を豊かに思い起こしたものの心を癒してくれたり、又励まされたり勉強になったり、美術館に来て良かったと思うコンサートでした。音楽の波にのり、曲の流れを掴んで聞くことにより目を瞑っていても情景が伺える演奏でした。(T.S)

ナイトオープン

幼少期から参加者として何度もお邪魔していたナイトオープンに、今回初めて裏方として関わらせていただきました。
通常開館に加えて食事やスペースの用意を並行して行う慌ただしさを初めて体験し、参加者のときに感じるものとは全く違う時間の流れを感じました。
また、当日の忙しさに留まらない、スタッフの皆さんの創意工夫の積み重ねに感嘆し、改めてこのような「場」を継続して用意し続ける尊さを知ったように思います。

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私が学芸員を志した理由には、このようなイベントを通じて知った、作品を見るにとどまらない美術館の面白さがあります。
私の成長に驚いてくださる方との久々の再会もあれば、アメリカ・中国からの留学生の方との一期一会もあり、非常に密度の濃い夜となりました。

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多くの地道な努力によって支えられているナイトオープンが、今後も様々な芽生えをもたらすことを願っています。(S.H)

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夏休みワークショップに参加して

「気分よくエイッと書いてみよう」と、書道家村上美恵師指導の下、8月1日岩内地方文化センター美術工芸室で書道教室が開かれた。
岩内高校美術部員のお手伝いの応援も得て、子どもも含め30名の参加者。

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すべてのはじめは「一」からということで、「一」の字を、始めと終わりをきっちりと抑え、思いっきりエイッと筆を運ぶ。それを経て、皆各々好きな言葉を半紙に書き練習する。
いろいろな魚の名前を書く人、練習用の半紙が真っ黒になるだけ重ね書きしている人、好きな言葉を探しながら書いている子どもたち。

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皆さん白い半紙に墨痕豊かに何枚も書いている。一人一人に何も書いていない団扇が配られ、ここに好きな言葉を書いていいとのこと。村上先生に「夢」という字を書いていいとのこと。
私は?団扇に「ALL YOU NEED IS LOVE」と筆を運んでみた。(参加者S.H)

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「第25回生誕祭」と特別展示「東京の木田金次郎」展

明治26年7月16日生まれの木田金次郎の誕生日を記念し、毎年行われている「木田金次郎生誕祭」が25回目を迎え、本年は7月13日に開催されました。
今回の生誕祭は残されていた東京での木田の写真や貴重な資料をスライドにまとめ、スクリーンに写しながら木田と東京との関わりについて学芸員が説明し、その後現在開催中の木田美術館開館25周年記念特別展示の「東京の木田金次郎」展の鑑賞と、東京とは木田金次郎にとってどのような意味を持っていたのかを展示作品の現在に至る経緯や背景を中心にしての解説がありました。

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木田金次郎と東京とのはじめての出会いは明治41年4月東京の開成中学に入学した木田がかつての小学校のクラス担任で東京帝大に在学し上野駅近くの下谷区車坂町に下宿をしていた柏村信のもとに身を寄せた時でありました。
その後明治43年家庭の事情で中学校を中退し北海道に帰りますが、札幌市で開催されていた第3回黒百合会展で有島武郎の作品を目にし、偶然見つけた札幌区白石町の有島の自宅を訪ねた事から始まった木田と有島との関係は大正7年小説「生れ出づる悩み」の誕生となり、木田金次郎は有島武郎やその周囲の人々との交流を通じて文化や芸術、思想や人生について多くの情報を東京から得る事になりました。

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時代は大正から昭和に移り、戦後昭和28年木田初めての北海道での個展が札幌市丸井デパートで開催され大きな反響を呼びました。
この頃木田の画業を評価し応援をしていた道銀頭取島本融、朝日新聞社論説主幹笠信太郎、独立美術の野口弥太郎などの尽力により昭和32年道銀東京支店での「油絵小品展」が、昭和34年と37年には朝日新聞社主催で日本橋高島屋を会場に「木田金次郎作品展」や「新作展」が開催されました。
相次ぐ東京での展覧会の開催で木田金次郎と東京との関わりは益々深まりました。作品を通じて多くの人々との縁も増しました。
現在木田美術館で開催中の特別展「東京の木田金次郎」展をご覧頂き「東京とは木田にとってどのような意味があったのか」あなたの答えを見つけてください。(M.T)
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